尖閣諸島の問題について、少し引っ掛かったこと

 尖閣諸島の領有に関する中華人民共和国側の主張については、それがどの程度の妥当性を持つのかを判断することは勉強不足で今のところできませんが、中華人民共和国側の主張がおかしいと批判する意見の中に以下のようなものがあるのには、引っ掛かるものを感じます。
 
 「中華人民共和国尖閣諸島の領有権を主張するようになったのは1970年代の初め頃からで、それまでは何も言わなかった。1960年代末頃に尖閣諸島周辺に海底資源がある可能性が指摘されるようになったから、急に主張し始めたのだ。」


 このような批判は、妥当なものでしょうか。まず、海底資源については、中華人民共和国側が領有権を主張する理由の1つである可能性はあるだろうと思います。でも、1970年代の初め頃から領有権を主張し始めたのはおかしい、なぜそれまで何も言わなかったのか、という批判を目にすると、変だなあ、と思わざるをえません。
 なぜなら、日本と中華人民共和国が国交を正常化したのは1972年であり、それ以前は国交がなかったからです。国交がなかったのだから、1972年以前に中華人民共和国が日本に対して尖閣諸島の領有権を主張することがなかったのは、当然の話ではないのでしょうか。

「大本営式・俗流トリアージ論」

 NHKスペシャル「玉砕 隠された真実」 8月12日放送(再放送は14日午前1時5分〜55分) を視聴しました。玉砕について初めて知ることが多く、大変勉強になりました。
 さて、この番組で特に強烈なインパクトを受けたのは、ニューギニアのブナにおいて、守備隊への援軍・補給が打ち切られて「棄軍」されたことについて、大本営の参謀が戦後にその内幕を明かした証言でした。以下は、その引用です。

大本営海軍部 作戦課長 富岡定俊大佐(当時)の証言(昭和45年)

「あの軍は敗残兵である。これに日本の海軍が駆逐艦や潜水艦で米を運ぶために出動したら、日本の海軍の戦力はなくなってしまうぞ。なくなったら作戦できなくなるじゃないか。」
「これを上司にあげましたよ。上司も捨てろというのです。」
「敗残兵になったら死んでしまえというのは当たり前じゃないか。」
「薬ひとつねだってもいけない。こういう原則でやったわけです。」

 これを聞いて、現代日本について語った言葉の様な気がして、仕方ありませんでした。

「沖縄の「米軍等の事件・事故」は多すぎるのかどうか」という記事への疑問

 愛・蔵太氏が、保坂展人氏の記事に対して疑問を述べておられます。

 愛・蔵太氏の記事
  http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20100509/jikenjiko

 保坂氏の記事 
 http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/95d8de18a8b1bbe55fa0c0daa805e533


 愛・蔵太氏の記事を拝読し、疑問に感じた点を3つ、申し述べたいと思います。

 まず1点目。
 保坂氏が、沖縄における米軍人等の事件・事故数が1000件前後あることから、沖縄県内の事件・事故発生率は異常に高い、と主張していることに対して、愛・蔵太氏は、「日本の普通の県における事件・事故の発生数・率と、米軍の場合と比べればいいんじゃないか」と述べて、以下のように検証しておられます。

「在沖米軍人・軍属・家族数」は「40416人」(平成20年9月末)です。
「平成20年」の犯罪件数は不明なんですが、「在沖米軍人・軍属・家族数」を固定として考えると、
平成17年の事件・事故率は2.5%、
平成18年の事件・事故率は2.4%
平成19年の事件・事故率は2.2%
ということになります。

 ここで疑問を感じたのは、「在沖米軍人等の事件・事故数」の「米軍人」には、「家族数」は含まれないのではないか、ということです。そこで、少し検索してみたところ、以下のURLが元データであることがわかりました(これは、愛・蔵太氏の記事のコメント欄でも指摘があり、愛・蔵太氏ご自身も追記しておられます)。

 http://www.justmystage.com/home/higaisha/sub49.html

 この「米軍人等による事件・事故件数及び賠償金等支払実績」は、防衛施設庁防衛省のデータに基づいて、「米軍人・軍属による事件被害者の会」が作成したものなのだそうです。だとすれば、「米軍人等」は、「米軍人・軍属」を指し、その「家族」は含まないと考えるのが普通でしょう。
 さて、「在沖米軍人・軍属・家族数40416人(平成20年9月末)」のうち、家族数が何人かといえば、「17792人」です(http://www.pref.okinawa.jp/kititaisaku/1sho.pdf)。ということは、「米軍人・軍属」は「22624人」ということになります。これで計算すると、
平成17年の事件・事故率は4.5%
平成18年の事件・事故率は4.2%
平成20年の事件・事故率は3.9%
ということになります。
 愛・蔵太氏は、千葉県の事件・事故率を「2.1%」、香川県の事件・事故率を「2.332%」とされ、「米軍の事件・事故発生率との有意な差が認められるようには思えません」と主張なさったうえで、「交通事故を含めた事件・事故の発生率は、2.1〜2.5%なら普通」と結論づけておられます。しかし、愛・蔵太氏の論法に則って考えるならば、むしろ有意に事件・事故率は高い、と言うべきなのではないでしょうか。


 次に、2点目の疑問です。
 愛・蔵太氏は、「在沖米軍人等の事件・事故の発生数・率」と「日本の普通の県における事件・事故の発生数・率」とを比較すればよいと主張しておられますが、そもそもこれは適切な比較なのでしょうか。
「日本の普通の県における事件・事故の発生数・率」ということは、その事件・事故を起こした人が属している組織や職種については検討しておられませんので、「日本の普通の県における[一般人によって起こされた]事件・事故の発生数・率」ということですね。そして、これを「在沖米軍人等の事件・事故の発生数・率」と比較するということは、つまり一般人による事件・事故と軍人・軍属による事件・事故とを同列に並べて比較するということになると思います。でも、このような比較で両者の発生率が同じくらいだった場合、だから軍人・軍属による事件・事故の発生率は高くないと結論できるものなのでしょうか?
例えば、以下はあくまでも仮定の話ですが、自衛隊で事件・事故が相次いで自衛隊が非難されたとします。その際に防衛大臣が、一般人による事件・事故の発生率と自衛隊における事件・事故の発生率が同じくらいであることを根拠として、自衛隊による事件・事故は多くないと反論したとしたら、なるほどと納得する人がどのくらいいるものなのでしょうか?


 そして3番目は、追記の以下の部分についてです。

平成20年の沖縄米軍の事件・事故件数はなんとたったの218件。なんで保坂さんはその数字を出さないんだろうなぁ。

 この部分は、正直言って、いささか信じがたいおっしゃりようです。
 以下に、平成11年〜19年の、沖縄における米軍人等による事件・事故数を挙げます。

平成11年 938件
平成12年 957件
平成13年 951件
平成14年 1059件
平成15年 1159件
平成16年 1010件
平成17年 1012件
平成18年 953件
平成19年 888件

 この数字を見れば、平成11〜19年の期間において事件・事故数は1000件近くで横ばい状態であったことがわかるでしょう。それが、平成20年には、5分の1近くにまで急減するわけです。

 「なんで保坂さんはその数字を出さないんだろうなぁ。」
 普通に考えれば、平成20年にはあまりにも特別な事情があったため、「沖縄における米軍人等による事件・事故数」の一般的傾向を考えるには不適切だったからなのではないでしょうか。すなわち、平成20年といえば、2月に米兵による少女暴行事件が起こった年であり、沖縄において米軍に対する非難が近年で最も激しくなった年ではありませんか。だからこそ、米軍も本気で綱紀粛正に取り組まざるをえなくなり、その結果として事件・事故数が激減したのだと思います。
 それにしても、上記の数字の変化を見て改めて驚くのは、「沖国大ヘリ墜落事件」が起こった平成16年と、その翌年の平成17年には、事件・事故数の変化が全く見られないことです。平成20年に事件・事故数が急減したこととあわせて考えますと、「この程度」の事件では、米軍は本気で綱紀粛正には取り組もうとはしなかったのではないか、と思わざるをえません。

JSF氏の奇妙な論理 その1


上記エントリに関連して、JSF氏による3つのブログ記事が、どうにもよく理解できない論理展開になっているので、少し考えてみました。


最初に、以下の記事について。

http://obiekt.seesaa.net/article/123640810.html


 JSF氏はまず、中井多賀宏氏の事件について、「自己を全否定する行為を……憲法9条を唱える無防備論者がナイフを使って殺人未遂。」と述べられた後、リデル=ハートの言葉を引用され、「平和主義者の好戦性」の例として井上ひさし氏が「家庭内暴力を奮う(ママ)事」を挙げられて、「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中にいるものと思った方が良いでしょうね。これまで私も山ほど見てきました」と結論付けておられます。

 さて、私はこの記事を読んで、結論に至る過程にかなり大きな論理の飛躍があるのではないか、と感じました。JSF氏は、中井氏の「殺人未遂」が「(憲法9条を唱える無防備論者としての)自己を全否定する行為」であると述べておられます。これにつきましては、「殺人未遂」という個人の行為と「憲法9条を唱える無防備論」という国家の方針をめぐる論議とを同列に論じているという点では疑問を感じますが、「無防備論」が含む暴力否定の考え方と「殺人未遂」という暴力行為との矛盾という観点からならば、理解できなくはありません。また、続いて井上ひさし氏の「家庭内暴力」を同様の事例として挙げられていることも、(ウィキペディアの記述を信用するとして)「家庭内暴力」も暴力行為の1つですから、これもわからなくはありません。
 ところが、JSF氏は2つの「憲法9条を唱える無防備論者」による暴力行為の事例を挙げられた後、なぜか「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中にいるものと思った方が良いでしょうね」と述べて、批判の矛先を平和主義者一般へと拡大してくるのです。そして、「(好戦的な平和主義者を)これまで私も山ほど見てきました」とおっしゃるものの、その具体例は全く挙げておられません。
ここで疑問を感じるのですが、この「好戦的な平和主義者」とは、具体的にどのような「平和主義者」を指しておられるのでしょうか?「殺人未遂」や「家庭内暴力」を例示された後という文脈から考えれば、同様な暴力を振るう平和主義者ということになるはずなのですが、これは常識的に考えて、ありえないでしょう。「殺人未遂」や(ウィキペディアからの引用ですが)「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」というようなすさまじい「家庭内暴力」を振るうような「好戦的な平和主義者」を、JSF氏が「山ほど見て」こられ、そのような「好戦的な平和主義者」が「そこいら中にいる」ということは、かなり考えにくい話ですから。
 では、この「好戦的」という言葉をもっと広い意味で、例えば「けんかっ早い」「攻撃的な議論をする」「口汚く相手を罵る」といった意味で使っておられるのでしょうか?もしもそうなら、「好戦的な平和主義者」が「そこいら中にいる」という点では理解できなくはありません。しかしその一方で、このような「好戦的な平和主義者」は、「自己を全否定する行為」をしているとまでは言えないでしょう。いずれにしても、JSF氏の議論は筋が通っていないように思われます。

JSF氏の奇妙な翻訳 Pugh教授の論文の翻訳と解釈をめぐって


(8月10日追記)
 当エントリの最初の題名は「JSF氏の奇妙な翻訳」でしたが、JSF氏からTBを頂き、翻訳はsennju氏によるものであるとの指摘を受けました。これは私の全くの勘違いであり、まことに申し訳ありませんでした。お詫びを申し上げるとともに、当エントリの題名と本文を訂正いたします。
 なお、頂いたTBへのお返事と、下記エントリの続きにつきましては、また後日にさせて頂きたいと思います。





JSF氏が、リデル=ハートの格言について言及があるPugh教授の論文の一節を、引用・翻訳されています。
リデル=ハートの格言について言及があるPugh教授の論文について、sennju氏が引用・翻訳され、それに基づいてJSF氏が解釈を述べられています。


http://obiekt.seesaa.net/article/123786563.html
リデル=ハートの格言「平和主義者の好戦性」について


論文はこちら
http://obiekt.up.seesaa.net/file/Pugh2C1980.pdf


 私自身は、軍事史もイギリス史も専門ではないので、このような論文について議論することは憚られるのですが、JSFsennju氏の訳文があまりにも不可解なものだったので、以下に疑問点を述べさせて頂きます。1文ごとに番号を振り、順番に検討しております。

 (なお、JSFsennju氏は引用部分を「Pugh氏の論旨」とされていますが、この引用部分は論文の結論部分でもなければ結論的内容が記述されている部分というわけでもないので、なぜ「論旨」とされているのかよくわかりません。)

第1の文

1) In political terms, pacifists extended their vision beyond the issue of individual consience to the prospect of converting whole societies.

 この文につきましては、termsの訳には疑問を感じますが、文の大意については同意いたします。なお、原文の’consience’は、‘conscience‘の誤植と思われます。


第2の文

2) No longer content merely to protect the dissenter and justify the dissenting conscience, the pacifist set out to win converts through missionary activity such as the lobbying of L.N.U. branches.

 この文を、JSFsennju氏は次のように訳しておられます。

「もはや反対者を単に擁護したり、見解の異なる良心を正当化することにも我慢がならず、平和主義者はLNU支部のロビー運動のような布教活動を通して、転向者に勝利することを企てている。」(引用者注:LNUに関する説明は省略しています)

  そして、この訳に依拠して次のように述べておられます。
  そして、この訳に依拠してJSF氏は次のように述べておられます。

反戦平和運動は半ば宗教と化し、布教活動を行う者は異なる意見に耳を貸そうとせず、反対意見を持つ者に対して勝利を得ることを企てている」


 さて、このような翻訳と解釈は正確なものと言えるでしょうか?

 まず、「もはや反対者を単に擁護したり、見解の異なる良心を正当化することにも我慢がならず」の部分について考えてみましょう。このような訳になることは、文法上ありえないのではないでしょうか?この訳では、「我慢がならない」の主語は「平和主義者」ですが、「擁護したり」と「正当化したり」の主語は別の誰かということになっています。しかし、S be content to 〜は「Sが〜することに満足する」という意味ですから、「満足する」の主語と「〜する」の主語が別々であるということはありえないでしょう。
 そして、‘protect the dissenter’を「反対者を擁護」すると訳すのは正しいでしょうか?‘dissenter’という単語は、この論文ではこの箇所で初めて登場しています。‘dissenter’には「異議を唱える者」「反対する者」といった意味がありますが、主語が「平和主義者」なのですから、平和主義者が擁護する‘dissenter’とは何かを考えなければなりません。この論文の、引用箇所よりも前の部分を読んでみますと、平和主義と‘Conscientious objection’=「良心的兵役拒否」との関わりについて述べられていますが、私が思うに、‘dissenter’とは「(良心的兵役拒否者のような戦争に対して)反対する人」という意味なのではないでしょうか。
 また、‘justify the dissenting conscience’を「見解の異なる良心を正当化する」と訳すのは正しいでしょうか?これも、主語が「平和主義者」であることを考えると、意味が通らないでしょう。私は、直訳すれば「(戦争にたいして)反対する良心を正当化する」だと思うのですが、これでは意味が分かりにくいので、例えば「戦争に反対することを良心的なものとして正当化する」と意訳してみたいと思います。


 では次に、「平和主義者はLNU支部のロビー運動のような布教活動を通して、転向者に勝利することを企てている。」の部分について考えてみます。まず、‘win converts ‘を「転向者に勝利する」と翻訳し、「反対意見を持つ者に対して勝利を得る」と解釈することは、正しいのでしょうか?私は、この’win‘は「勝利する」の意味ではなく、「勝ち取る」「獲得する」の意味ではないか、と思うのですが。
 そして、‘converts’についてですが、これを「転向者」と訳すことは良いとしても、一体何から何への「転向者」なのでしょう。しかも、JSF氏は「反対意見を持つ者に対して勝利を得る」と解釈されていますが、これでは‘dissenter’と‘converts’が同じになってしまい、全く意味不明なことになってしまいます。私は、これは「(平和主義への)転向者」ということではないか、と考えます。この論文の、引用箇所の前の段落には‘a convert’の単語が登場し、以前戦争に参加していた人物が後に平和主義に転向した例が挙げられていますので。


 なお、‘missionary activityを’「布教活動」と訳しておられますが、‘missionary’は宗教的な意味を持つ場合にしか使われないというわけではありませんので、「宣伝活動」と訳した方が分かりやすいと思います。


 以上から、私の試訳は以下のようになります。


「平和主義者は、単に戦争に反対する人を擁護したり戦争に反対することを良心的なものとして正当化したりするだけでは最早満足しなくなり、LNU支部のロビー運動のような宣伝活動を通して、平和主義への転向者を獲得するようになった。」



 失礼ながら、JSF氏は御自分の意図に合わせようと無理やりな翻訳をされたため、全く頓珍漢な解釈をすることになったのではないかと考えざるをえません。
 失礼ながら、JSF氏は問題のある翻訳に依拠されたために、全く頓珍漢な解釈をすることになったと考えざるをえません。


第3の文

3)It was this process of politicization which annoyed not only Beaverbrook but less hostile observers as well.


  この文を、JSFsennju氏は次のように訳しておられます。

「これはビーバーブルック卿だけでなく、もっと友好的な観察者をも悩ませた政治化のプロセスであった」


「これは」という主語を用いて訳しておられますが、意訳だとしても、なぜこのような訳し方をされるのでしょう。これは、どう見ても強調構文だと思います。また、‘less hostile’を「もっと友好的な」と訳されるのはいかがなものでしょうか。 


 私の試訳は以下のようになります。


「ビーバーブルック卿だけでなく、彼ほど平和主義に対して敵対的ではない観察者をも悩ませたのは、この政治化のプロセスであった、」


第4の文

4)Liddell Hart commented, for example:' contact with many of my pacifist friends, with whose outlook I am naturally in sympathy, too often has the effect of making me almost despair of the elimination of war, because in their very pacifism the element of pugnacity is so perceptible'.


 リデル=ハートの言葉の翻訳につきましては、特に疑問を感じるところはありませんでした。
 ただ、このリデル=ハートの言葉を、平和主義一般に対する批判の言葉としてとらえるとしたら、誤解を生む危険性があると思います。この論文は、その題名(「イギリスにおける平和主義と政治 1931−1935年」)が示すとおり、限られた時代の「平和主義」について論じられたものであり、しかもこの時代に平和主義がそれ以前に比べて大きく変化したことが述べられております。そして、変化した「平和主義」に「悩ませられたless hostile observers」の一例として、リデル=ハートの言葉が引用されているのです。
 このような論じ方がされている論文から、前後の文脈を無視してリデル=ハートの言葉を引用し、平和主義一般に対する批判の言葉にするとしたら、これはいささか問題があると感じざるをえません。
 そしてさらに言えば、この論文ではイギリスにおける平和主義の変化の背景として、日本が引き起こした満州事変が挙げられておりますので、日本人がこの論文の内容に依拠して平和主義を批判するということに対しては、ますますなんだかなあ、と思ってしまうのです。

ハイビジョン特集「日中戦争〜兵士は戦場で何を見たのか〜」

 この番組は、「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜」(Apemanさんが、内容を紹介しておられます。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060814/p1)の拡大版だったらしいのですが、残念ながら後半部分しか観ることができませんでした。観ることのできた後半部分では、「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜」と重なる内容がほとんどでしたが、日本軍の軍規の弛緩に関して、いくつか興味深い史料が紹介されていました。


第九師団経理部の公式報告書「衣糧科附部員以下行動一覧表」
 陸軍省に対して、南京進攻に際して陸上輸送中心の補給がなされたことについて、次のような批判を行っています。
「地図通りの水と舟の地に来たり。何ぞ水路利用の遅きを嘆かざるを得ず。陸軍省、兵要地誌において何を学びたるか。」
 第一線の兵士は、現地調達によって得た食糧により、かろうじて餓死を免れた、としています。 
 
 そして、兵士達は「徴発」と呼ばれる物資収集活動に奔走するようになります。11月中旬、日本軍は蘇州で大規模な徴発を行いました。 「徴発」を行う際には、物資の対価を支払うことが軍規に定められていましたが、戦火を恐れて住民の多くが逃げ去っていた蘇州では、軍規に違反した行為も起こるようになります。「小西與三松日記」では、宿舎とされた市内のホテルに入った際に、「我らの部屋に入れば、何か一度に有産階級になったような気持ちにな」り、食物を「腹一杯に喰い荒」し、「それ写真機だ」「上等の硯入れだ」と「百貨店のよう」な物品にはしゃぎ、「みな、本隊が到着すると同時に、徴発」した、と記されています。


 「第九師団歩兵第七連隊戦闘詳報」では、公式命令のもとに「徴発」が行われたことが記録されています。「徴発」の対象は、食糧のみならず煙草・酒などにおよび、船など物資の運搬手段なども含まれていました。

 
 陸軍の精神科医、早尾乕雄(はやお とらお)軍医中尉は、「徴発」が兵士達の倫理観を麻痺させていく危険性を指摘しています。すなわち、『戦時神経症並びに犯罪について』(昭和13年4月)という論文で、軍が公認した徴発が掠奪や強奪となり、軍規を崩壊させた、と述べているのです。以下は、番組のナレーションで紹介されていた部分です。


 「実に、徴発なる考えは、極めて兵卒の心を堕せしめたる結果を示せり。内地に於いては重罪のもとに処刑せらるべきものなり。然るに、戦時に於いては毫も制裁を受けず、却って是に痛快を感じ、益々奨励せらるるが如き感ありき。」
 「徴発の如き公然許されしこと、最初は躊躇せる者が、遂には不必要な物品を自己の利欲より徴発なすに至れり。」
 「実に日本軍人の堕落と言わざるべからず。」