靖国参拝問題・野良猫さんとの議論 (その2)

 新エントリに移ってからの議論は、以下の通りです。
http://noraneko.at.webry.info/200507/article_5.html
 まず、野良猫さんのエントリ本文を引用転載させて頂きます。

結局、この問題のポイントは2点ですね。「軍国主義の美化(?)」という大陸と半島政府に対しては、日本人の死生観を説明し、敵対意識などで行っているのではないという立場をきちんと説明する。これは靖国問題に限らず、生き馬の目を抜く国際社会で生き残るためには必要な行動です。
 また、前述のように靖国神社の「英霊」とは、生前の善悪や行いなどを文字通り彼岸のかなたに流し去った上で、祀られている存在なのです。遊就館で説明されている内容も、祀られている方々が当時どのような状況にあり、どのように「正義」を信じていたかという「想い」を伝えるためにある。受け取る側の私たち一人一人がどう評価するにしても、まずそうした趣旨を理解した上で学ばなくてはなりません。
 こうした歴史感覚や慰霊の観念というものは、一般的な日本人なら理解しているものと考えていましたが、そうでもないらしいのが残念です。

 もう1つは、諸判決の受諾=戦犯とされた人々は犯罪者であり、公的に祀られるような存在ではないという価値観の受諾、と解釈するかどうかについて。これは、流相馬さんが触れているように、刑はすでに終了している。その後どうするかの制約などは存在しないし、カミの概念が違うことは説明すれぱ済むこと。儒教の孝徳観念にたとえて理解させる方法もあるかもしれない。
 かつて、不法な裁きとはいえ、裁判は裁判だとして日本はそれを受諾した。それに対して、その過程を知る戦勝国の政府関係者にとっては「負い目」でもある。これは本来、互いに蒸し返したくない題材なのですが、対日外交に有利になるとして大陸や半島が利用し始めた。ですから、日本政府側がそれに反論していくことに何の問題もないはずなのですが、歴史的経緯を知らない政治家や官僚がきちんと動かないから、問題がどんどんややこしくなっていく。そういう意味では、日本側が悪いといえるのかもしれない。
 歴史的経緯と現実的な対処で判断するか、細かい法律論的検証にこだわるか。私たちはそれぞれ視点が違うのだろう思います。

>それ以前のヨーロッパの「勝ったり負けたりの経験」を引き合いに出されるのは、
>無理があると思います。

 ここは逆にジムシィさんに問いたいのですが……、かつての戦争と第二次大戦の違いはなんだとお考えですか?  ご存知の通り、米国主導で戦勝国が敗戦国を倫理的・道義的に裁いた点ですね。しかし、戦勝国が別に正義の側ではないことも判るはずです。倫理的な点を考えれば、都市への無差別爆撃、原子爆弾終戦後の捕虜への虐待(シベリア抑留ほかドイツに対するものも含む)など、威張れた内容ではない。
 そうした点を見たくなかった戦勝国側が、自らの正義を確認するために政治的ショーとして行われたのが、東京裁判などです。
 では、逆に枢軸側が戦勝国となっていた場合に「ワシントン裁判・ロンドン裁判」というようなものが実施されたとします。毛沢東戦争犯罪人として処罰されたとする。……その状況下で、共産党政府が毛沢東を「抗日英雄」などと称して慰霊施設に祀った場合、日本政府側が抗議をするべきである、正当性があるとお考えになりますか?

 正当性があるかないか。いかがでしょうか。

これに対するコメント欄での応答は、以下の通りです。

レスが遅くなり、失礼致しました。
遊就館で説明されている内容も、祀られている方々が当時どのような状況にあり、どのように「正義」を信じていたかという「想い」を伝えるためにある。
 遊就館のHPのトップページには、次のように書かれています。 
明治15年我が国最初で最古の軍事博物館として開館した遊就館は、時にその姿を変えながらも一貫したものがあります。一つは殉国の英霊を慰霊顕彰することであり、一つは近代史の真実を明らかにすることです。
近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。それらの戦いに尊い命を捧げられたのが英霊であり、その英霊の武勲、御遺徳を顕彰し、英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館のもつ使命であります。」
 これを読む限り、祀られている方々の「想い」を単に伝えるだけでなく、彼らの信じていた「正義」の正当性を訴えるのが使命だと遊就館は主張しているようですが。
大阪のジムシイ 2005/07/17 02:05

>諸判決の受諾=戦犯とされた人々は犯罪者であり、公的に祀られるような存在ではないという価値観の受諾、と解釈するかどうかについて。
 どうして野良猫さんは、こういうまとめ方をされるのですか?「諸判決の受諾=戦犯とされた人々は犯罪者」というのは日本政府の公式見解であり、独立回復から現在まで変わっていません。一方靖国神社は、裁判の判決を「ぬれぎぬ」だと主張しており、これは日本政府の公式見解とは相反するものです。繰り返しになりますが、そういう靖国神社に日本国の首相が公式参拝することは筋が通らない、ということが私の主張です。
大阪のジムシイ 2005/07/17 02:07

靖国神社の「英霊」とは、生前の善悪や行いなどを文字通り彼岸のかなたに流し去った上で、祀られている存在なのです。
>〜刑はすでに終了している。その後どうするかの制約などは存在しないし、カミの概念が違うことは説明すれぱ済むこと。
 もしも靖国神社が、「A級戦犯の方々は罪を犯したが、その罪は祓い清められたので、神として祀っている」と主張しているのであれば、「カミの概念が違うことを説明すれば済む」かもしれません。しかし、靖国神社は裁判の判決を「ぬれぎぬ」だと言っており、A級戦犯は罪など犯していないというのが靖国神社の考え方なのですから、その靖国神社に祀られているA級戦犯の罪は祓い清められてはいない、と考えるほかないと思います。    
 また「刑を終えたので罪は償っており、祀ることに何の問題もない」という靖国参拝擁護論は、これも裁判の判決を「ぬれぎぬ」だと主張する靖国神社の見解と矛盾するでしょう。判決が「ぬれぎぬ」だとするなら、そんな判決によって下された刑に服する必要などない、という主張にならざるを得ないからです。
大阪のジムシイ 2005/07/17 02:08

>では、逆に枢軸側が戦勝国となっていた場合に〜正当性があるとお考えになりますか?
 随分とSF的な仮定の話ですね。そういえば、P・K・ディックのSF小説に、第二次世界大戦で枢軸国側が勝ったパラレルワールドを描いた、『高い城の男』という作品があるそうです(残念ながら未読です)。さて、歴史に「もしも」はありませんが、もし枢軸国側が勝っていたら、おそらく「正当性はある」ということになっているでしょう。
大阪のジムシイ 2005/07/17 02:10

 うーん、やはり前の焼き直しですね。こちらとしては「それで問題があるの?」としか答えようがありません。宗教施設がどんな歴史観を持とうと自由ですし、そこに参拝する人間がその価値観に全て同意したことになるはずもない。また、他国の慰霊施設に関して何か要求する事自体が、内政干渉中の内政干渉です。ですから、大陸と半島の要求などに応じる必要もありません。権利が「ある」と考える方が異常な事なのです。
 それは被害者、あるいは戦勝国という立場をもって自己正当化し、要求できるようなものでもない(そもそも半島は戦勝国ですらない)。つまり、彼らの国こそが国際慣習や常識というものを誤解していると言うこと。

 それを弁護するべく編み出された「講和条約受諾論」も、慰霊の方法まで縛ってはいない(そもそも近代法に死後の扱いまで要求する観念は無い)。そして、外交的にもそんな要求が出される時点で対等に扱われていないので、強く抗議するべきです。「感情的な結びつきで仲良くすること」は、そこまで優先度の高いものでもありませんからね。
野良猫 2005/07/18 03:36

 ちょっと追記。ジムシィさんが今後もこのやりとりを望むなら、ご自分の場所からトラックバックを送ってください。ここのコメント欄は、長文に適していませんからね。
 出来るなら、大陸の要求を受け入れるべきとお考えなら、具体的にどのようなプランを進めていくべきか。そして、それを実施すると日本側にどのようなメリットがあるかも説明なさってください。
 A級戦犯分祀を行えば全て決着がつくのか。BC級にまで要求が拡大していった場合にはどう対処するのか。ご自分の家族や親戚で祀られている方がいらっしゃるかと思いますが、そうした祖先の方々に対してどうお考えなのか。
 枝葉末節にこだわらない、ジムシィさんの「靖国論」に期待しています。こちらとしては以上です。
野良猫 2005/07/18 03:48

というわけで、議論を続けさせて頂きます。

>宗教施設がどんな歴史観を持とうと自由ですし、そこに参拝する人間がその価値観に全て同意したことになるはずもない。また、他国の慰霊施設に関して何か要求する事自体が、内政干渉中の内政干渉です。
 「宗教施設がどんな歴史観を持とうと自由です」これについては私も同意見ですし、流相馬さんへのお返事の中で既に申し述べていることです。しかし「そこに参拝する人間がその価値観に全て同意したことになるはずもない」というのは、いかがなものでしょうか。一般人が参拝するのではありません。日本国の首相が、明らかに日本国政府とは正反対の政治的主張(「A級戦犯に対する有罪判決はぬれぎぬである」)をしている宗教施設に、公式参拝しているのです。これでは、日本政府は靖国神社政治的主張に同調しているのではないか、と勘繰られても仕方がないのではないでしょうか。誤解を避けたいのであれば、日本国政府靖国神社の主張を否定していることを事前に明言しておくべきだったと思います。ただその場合でも、公式参拝するのであれば、「政教分離の原則」との齟齬が問題になってきますが。
 私としては、小泉首相靖国神社を参拝されたいのでしたら、上述のように靖国神社の主張を否定した上で、日本国首相の職責から離れた私人として参拝されるのが良いと思います。

>他国の慰霊施設に関して何か要求する事自体が、内政干渉中の内政干渉です
 これも既に指摘したことですが、中国・韓国政府が靖国神社に対して何かを要求したことはありませんし、また日本国首相に対して靖国神社に関する要求を行ったこともないはずです。

>BC級にまで要求が拡大していった場合にはどう対処するのか。
 これは、中国側のこれまでの主張からすれば、まずありえないことです。なぜなら、日本の軍国主義侵略戦争は、一部の軍国主義者が中心になって引き起こしたもので、一般の日本国民はその犠牲者だったのだ、というのが中国側の公式の歴史認識だからです。「BC級にまで要求が拡大」するようなことがあれば、中国側に対してその主張が首尾一貫していないと反論すれば良いでしょう。

>ご自分の家族や親戚で祀られている方がいらっしゃるかと思いますが、そうした祖先の方々に対してどうお考えなのか。
 幸いなことに、家族や親戚で靖国神社に祀られている人間はおりません。そして、靖国神社に祀られている戦没者のご遺族の方々に対しては、戦争でご家族を亡くされたことは非常にいたましいことだと思いますし、彼らがご家族を慰霊されることに何等口を差し挟むことなどあろうはずはありません。また、一宗教法人である靖国神社戦没者を戦前と同じ基準で祀り、ご遺族の方々がそれを喜ばれたとしても、これまた信教の自由と言うべきでしょう。(もっとも、それを望まないご遺族の意向を無視する靖国神社の態度には、全く賛成できませんが)
 しかし、もしご遺族の方々が、戦前の大日本帝国と同じ基準で、戦後の日本国が戦没者を顕彰すべきだとおっしゃるなら、これはとんでもないことだと思います。たとえ戦没者靖国で会おうと言いながら死んでいったのだとしても、戦後の日本国という国家は、それに応えて戦没者靖国神社で顕彰するということを、やってはならないのだと考えます。

>大陸の要求を受け入れるべきとお考えなら、具体的にどのようなプランを進めていくべきか。そして、それを実施すると日本側にどのようなメリットがあるかも説明なさってください。
 これも既に申し述べたことですが、私が首相の靖国神社公式参拝に反対するのは、それが筋の通らないことだからであって、中国・韓国から批判されたからではありません。たとえ批判がなかったとしても、公式参拝には反対なのです(ですから私にとっては、公式参拝の中止=「大陸の要求の受け入れ」ではありません)。参拝をやめることで「日本側のメリット」があるとすれば、日本国が筋の通らないことをして外国から抗議されるような隙が一つ減る、といったところでしょうか。
 なお、日本国が戦没者の慰霊をどう行うべきかについては、さらに問題が大きくなってしまいますので、また別の機会にさせて頂きたいと思います。