西村眞吾

 マッコイ博士さんのブログの記事(http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050813/p2)を経由して、西村眞吾氏のホームページにて、「眞吾の時事通信」8月9日の記事(http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=204)を目にしました。以下に一部を引用します。

 解散の法的効果は、言うまでもなく衆議院議員の地位を奪うことである。従って、昨日午後七時過ぎ以降、日本国に衆議院衆議院議員も存在しない。
 そして、再び、我が国に衆議院議員という身分を作り出すことができるのは、日本国民による選挙のみとなったのだ。
 
 また、衆議院解散は、総理大臣の権力行使であるが、それは誰の名によって、誰によって行われるのか。
 それは、天皇である。
 即ち、昨日、憲法第七条の「天皇衆議院を解散する」という規定により、天皇が宮中から「衆議院を解散する、御名御璽」と記載された文書を内閣に送付し、この天皇の命令を議場で内閣官房長官から受け取った衆議院議長が朗読することによって、全衆議院議員の身分が剥奪されたのである。
 この朗読の瞬間から、例えば私のもっている身分証明書や公用パスポートなどは、全て無効となった。

 よって、この際、指摘しておきたいのは、この衆議院解散のプロセスの中に、「我が国のかたち」、国体というものが端的に表れているということである。
 即ち、我が国は、立憲君主国なのである。
 
 さらに、この解散が天皇の名によって行われたからといって、解散の責任を天皇が負うということはない。
 解散の政治的責任は、当然に権力者である内閣総理大臣が負うのである。
 このことは、現在、説明するまでもないことである。誰も、解散に関して天皇に責任があるというものはいないだろう。
 これが、立憲君主国の原則である。
 
 では何故この自明のことをここで指摘するかというと、
六十年前の大東亜戦争に関しては、天皇の名で行われたからという理由で、天皇に責任があるという人が時々いるからである。
 しかし、あの時も、現在も、我が国は立憲君主国であり、
立憲君主国の原則は同じである。

 西村眞吾氏は、京大法学部を卒業後に弁護士となり、その後国会議員となった人物です。しかし、そのような経歴を持つ人物が書いたこのような文章を読むと、どう理解すれば良いのか解らなくなってきます。
 一体どうして、日本国憲法のもとにある日本国と、大日本帝国憲法のもとにあった大日本帝国とを、「あの時も、現在も、我が国は立憲君主国であり、立憲君主国の原則は同じである」と一括りにしてしまえるのか、理解できません。現在の日本国が立憲君主国といえるのかどうかはひとまず措くとしても、「天皇がその責任を問われない」理由は、日本国憲法大日本帝国憲法とではまるで違います。そして、そのようなことは中学公民や高校現代社会レヴェルで学ぶことであり、西村氏なら常識以前のはずなのです。それなのに、このような文章を書かれるというのはどういうことなのか、不思議でなりません。