ロマ書第13章

finalventさんのブログから、以下に転載させて頂きます記事「君が代神経症」について。(10日追記:finalventさんより「全文引用、全文転載はやめてください(許可しません)。」とのコメントを頂戴しましたので、URLのみ掲示させて頂きます)


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060323/1143080755




 「キリスト者はイエス以外なにものをも神としない」というのは、確かに正統教義の三位一体説では「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」は同質のものとされていますけれど、いささか微妙な印象を受けます。
 また、「ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもない」とのことですが、だとすると皇帝礼拝を拒否して迫害されたキリスト教徒はどうなるのでしょうか?またローマ帝国滅亡後も、皇帝権力と宗教権力の対立は、聖職叙任権闘争をはじめとして数多く起こっているように思われますが。第一、内村鑑三教育勅語への最敬礼を拒否して職を追われたのですから、これはまさに「皇帝への忠誠とバッテン」した例なのではないでしょうか。
 そして何よりも引っかかったのは、「聖書にも世の秩序に従ってとけみたいのがあるし」と述べられて、ロマ書の第13章を持ち出しておられるところです。ロマ書の第13章といえば、軍国主義時代に神社参拝が強制されるようになった時、それを拒否するキリスト教徒に対して強制を正当化するために持ち出されたものだったと聞いています。そのような歴史的経緯を持ったものを、日の丸・君が代の強制に関する文脈で持ち出されるというのは、歴史に対してあまりにも無頓着ではないでしょうか。あるいは、ご存知の上であえて、なのでしょうか。曽野綾子氏の言説(「諸君」2005年9月号など)あたりなら、確信犯的なものだろうと思われますが。