Apemanさんと、愛・蔵太さんとの論争

Apemanさんと、愛・蔵太さんとの間で、再び論争が起こっています


Apemanさんの記事
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C2047678115/E20060614112848/index.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C2047678115/E20060615005846/index.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060616012608/index.html
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C2047678115/E20060616094854/index.html


愛・蔵太さんの記事
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060614#p2
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060616#p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060618#p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060619#p1
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060619#p2
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060620#p1



 そして、愛・蔵太さんの二番目の記事において、以前私が愛・蔵太さんの記事(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060307#p1)に対してブックマークでコメントしたことについて触れられています。

なお、別件ですが、ブックマークのコメントでこんなのもあったので。
はてなブックマーク - 愛・蔵太の気ままな日記 - ものすごく興奮して大漁の文章をアップロードしているいる人がいるみたいですが

2006年03月05日 jimusiosaka 「当人に対して接点を持たない第三者により、当人に確認を取らないまま伝えた情報が「正確」なわけが」ないとすると、例えば歴史家による歴史の叙述はほとんど不可能になるのではないでしょうか。

「不可能」ではないと思いますが「フィクション(創作・虚構・物語)として後世には読まれる可能性も考えて、歴史書というのは書かれてきたし、書く人もそれを意識して叙述してたのでは」というのがぼくの判断です。江戸時代の経済状況とか、史料的に充実しているものはともかく、「織田信長はこんな人」みたいな人物評は、客観的に判断できるようなものはほとんどないようなエピソードが多いわけで。


 歴史家は、史料によって得られた情報に基づいて歴史を叙述しますが、その史料が一次史料・二次史料のどちらであるにしても、歴史上の出来事の当事者や史料の提供者に対する確認を取ってからその史料を用いるということは、ほとんどありません(オーラル・ヒストリーなど少数の例外を除いて)。ですから、上記のように申し述べたわけです。
 しかし、これに対する愛・蔵太さんのお言葉は、どうも理解に苦しむものでした。
 まず、「「フィクション(創作・虚構・物語)として後世には読まれる可能性も考えて、歴史書というのは書かれてきたし、書く人もそれを意識して叙述してたのでは」というのがぼくの判断」とのことですが、少なくとも近代以降の歴史家にとって、自分の書いた歴史書が「「フィクション(創作・虚構・物語)として後世には読まれる可能性」があるなどということは最も考えたくないことだろうと思いますし、そのように読まれることがないよう叙述するのが普通の歴史家の基本的な態度だと思います。
 次に、「江戸時代の経済状況とか、史料的に充実しているものはともかく、「織田信長はこんな人」みたいな人物評は、客観的に判断できるようなものはほとんどないようなエピソードが多いわけで。」という部分は、愛・蔵太さんの意図されているところが全くわかりません。一体何をおっしゃりたいのでしょうか?
また、ここで書かれている内容自体についても、「江戸時代の経済状況とか、史料的に充実しているもの」とおっしゃるところについては、私は江戸時代の経済史は全くの門外漢ではありますが、他の時代に比べて「史料的に充実」しているのだろうかと疑問を感じるところですし、「「織田信長はこんな人」みたいな人物評は、客観的に判断できるようなものはほとんどないようなエピソードが多いわけで。」とおっしゃるところについては、「「織田信長はこんな人」みたいな人物評」というのは歴史家による人物評のことなのか、それとも同時代人による人物評のことなのか、どうも判然としないように思われます。


 それにしても、愛・蔵太さんの最初の記事のコメント欄において、愛・蔵太さんはguldeenさんの書き込みに対して非常に理性的な応答をされているように思われたのですが、Apemanさんに対してはどうしてあのような応答をされるのか、不思議に思います。


(7月3日追記)
野良猫さんが、以下のブログのコメント欄で、この記事へのリンクを張っておられます。

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html#comment

 一応の期限に向けて、手ぐすね引いて待機中……とかやっていたら、こんなURLを発見。

http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060617
#c1151251272

 ぺたっ。
 傷をなめあう道化芝居〜♪ こんな歌詞をなんとなく思い出したけど「イデオン」だったかな〜。
 しばしば離れた場所で見せるこういうやりとりが「グループ」と呼びたくなる所以だったりします(-_+)キラリ。
 
Posted by 野良猫 at 2006年06月30日 22:24


 野良猫さんの目には、なぜか「傷をなめあう道化芝居」と見えるらしいです。はて?
 このエントリの主旨は、愛・蔵太さんが私のコメントに対して述べられたことについて論じるということであって、Apemanさんと愛・蔵太さんとの論争については論じていないのですが(最後に、私自身はApemanさんの方に理があると考えていることは述べておりますが)。
 そしてその後、野良猫さんは以下のように発言されています。

 サヨクと議論になる場合、大概は1対複数となります。これは昔の「異議あり」や「サンデープロジェクト」で観られる構図と同じです。そして、こちら側が論点のポイントについて指摘をするのに対して、サヨク側は「あなたはデタラメな人間である。だから他の皆さんもこんなデタラメな説を聞いてはダメですよ」という主張によって意見を封じ込めようとしてくるのが、面倒なところでもある。

 普通、リベラル(自称を問わず)というのは開放的な意味があるのですが、そのやり方は古い「農耕定住ムラ社会」そのものだったりするのが面白い。
 議論の進展にしても──、

「Aという史料があります。だから南京大虐殺はありました」
「その史料には信憑性に問題があります。この内容は中間派やまぼろし派は否定していますよ。あなたは何の説を信じているんですか?」
「……Bという史料があります。だから虐殺があったことには違いないのです」
「いえ、具体的にはあなたはどういうイメージを持っているのかと……」
「……Cという史料があります。こんなに確実なのに否定派はなんて愚かなのか」
「だから史料の引用オンリーは結構なので、それらを元にあなた自身はどういう見解を出したのかと……」

 すると、最初の相手は沈黙して別の人間が割って入ってくる。

「そんな事より、否定派が日中友好に与える悪影響についてどうお考えですか?」

 そして、その人間が沈黙すると元の相手が戻ってきて何事も無かったかのように話を進めようとする。

「さて、今までの史料をご覧になれば虐殺は確実かとお分かりでしょうが……☆」

 こんな感じで以下、無限ループ。

 ちなみに、こういう進展の間では捨てハンによるヤジや肯定派への賛美が書かれる(しかし、その時と同じハンドルを別所で見かけるケースは少ない)。
 こういうやり方は、言ってみれば「ゲリラ戦」みたいなもので、形勢不利となった者は素早く隠れて「敵」に隙が出来るかほとぼりが冷めるのをじっくりと待つ。また、じっくりと待つ余裕を与えないように、絶えず複数の人間と会話の続く状況を続ける。
 そして、何かしら言質がとれた時(敵に隙を見いだした時)は全員で一点突破をはかる……。

 こういうやり方を、僕は「サヨク人海戦術ドクトリン」と呼んでいたんですが、考えてみれば旧共産圏の軍隊とやってる事は変わらない訳ですね(苦笑)。毛沢東が持久戦論で述べていたのもこんな感じだったような気がします。
 ここの議論に際しても、似たようなパターンがいくつか見受けられるのではないでしょうか。

 彼らは「形勢不利」と思えば、自らの陣地に籠城するか姿を消します。議論が再開されるとしても、彼ら自身が「形勢有利」と感じる時まで待たねばならないでしょう。
 なお、不思議なことではありますが、そういう時期は見慣れないハンドルで妙に「事情通」な方が、別の話題で非難などを始めるケースも見かけます。
 元のメンバーを呼び戻す「呼び水」として、そうした方と議論を続けるという手もあります。

 長々となりましたが、これが自分なりに分析した「行動パターン」です。
Posted by 野良猫 at 2006年07月03日 21:52


 野良猫さんは拙ブログのコメント欄に何度か書き込まれて論争になりましたし、また他のブログでも論争されているのをお見かけしたりしておりますが、野良猫さんがおっしゃるようなサヨクの「行動パターン」は見た記憶がありません。是非とも、そのようなサヨクの「行動パターン」が見られる野良猫さんとサヨクとの論争を、URLつきで例示して頂きたいものです。