JSF氏の奇妙な論理 その1


上記エントリに関連して、JSF氏による3つのブログ記事が、どうにもよく理解できない論理展開になっているので、少し考えてみました。


最初に、以下の記事について。

http://obiekt.seesaa.net/article/123640810.html


 JSF氏はまず、中井多賀宏氏の事件について、「自己を全否定する行為を……憲法9条を唱える無防備論者がナイフを使って殺人未遂。」と述べられた後、リデル=ハートの言葉を引用され、「平和主義者の好戦性」の例として井上ひさし氏が「家庭内暴力を奮う(ママ)事」を挙げられて、「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中にいるものと思った方が良いでしょうね。これまで私も山ほど見てきました」と結論付けておられます。

 さて、私はこの記事を読んで、結論に至る過程にかなり大きな論理の飛躍があるのではないか、と感じました。JSF氏は、中井氏の「殺人未遂」が「(憲法9条を唱える無防備論者としての)自己を全否定する行為」であると述べておられます。これにつきましては、「殺人未遂」という個人の行為と「憲法9条を唱える無防備論」という国家の方針をめぐる論議とを同列に論じているという点では疑問を感じますが、「無防備論」が含む暴力否定の考え方と「殺人未遂」という暴力行為との矛盾という観点からならば、理解できなくはありません。また、続いて井上ひさし氏の「家庭内暴力」を同様の事例として挙げられていることも、(ウィキペディアの記述を信用するとして)「家庭内暴力」も暴力行為の1つですから、これもわからなくはありません。
 ところが、JSF氏は2つの「憲法9条を唱える無防備論者」による暴力行為の事例を挙げられた後、なぜか「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中にいるものと思った方が良いでしょうね」と述べて、批判の矛先を平和主義者一般へと拡大してくるのです。そして、「(好戦的な平和主義者を)これまで私も山ほど見てきました」とおっしゃるものの、その具体例は全く挙げておられません。
ここで疑問を感じるのですが、この「好戦的な平和主義者」とは、具体的にどのような「平和主義者」を指しておられるのでしょうか?「殺人未遂」や「家庭内暴力」を例示された後という文脈から考えれば、同様な暴力を振るう平和主義者ということになるはずなのですが、これは常識的に考えて、ありえないでしょう。「殺人未遂」や(ウィキペディアからの引用ですが)「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」というようなすさまじい「家庭内暴力」を振るうような「好戦的な平和主義者」を、JSF氏が「山ほど見て」こられ、そのような「好戦的な平和主義者」が「そこいら中にいる」ということは、かなり考えにくい話ですから。
 では、この「好戦的」という言葉をもっと広い意味で、例えば「けんかっ早い」「攻撃的な議論をする」「口汚く相手を罵る」といった意味で使っておられるのでしょうか?もしもそうなら、「好戦的な平和主義者」が「そこいら中にいる」という点では理解できなくはありません。しかしその一方で、このような「好戦的な平和主義者」は、「自己を全否定する行為」をしているとまでは言えないでしょう。いずれにしても、JSF氏の議論は筋が通っていないように思われます。