『となりの山田くん』で、「壊れて」「消えた」アニメーターとは誰なのか?

文春ジブリ文庫かぐや姫の物語』から抜粋された、以下の鈴木敏夫氏のインタビューが話題になっています。

「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1
http://bunshun.jp/articles/-/8406
高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2
http://bunshun.jp/articles/-/8407
「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3
http://bunshun.jp/articles/-/8408
 また、https://togetter.com/li/1256097のようなまとめ記事も作られています。

これらの記事を読んだ多くの人々は、高畑勲監督が多くの才能あるアニメーターを使い潰して作品を作ったと解釈しておられるようで、その根拠とされているのが例えば以下のような部分です。

http://bunshun.jp/articles/-/8406?page=2
まわりの人間を尊重するということがない人なんで、スタッフがみんなボロボロになるんですよ。おまけに、ジブリはこうやって作るんだという、これまで培ってきたスタイルにまで手をつける。そうすると会社が滅茶苦茶になっちゃうんです」
 絵コンテを作り、それを元にレイアウトを描いて、原画マンがキーになる絵を描く。そして、その間を動画マンが埋めていく。そういう日本のアニメーション制作の基本システムは高畑さんたちが作ったものです。でも、高畑さんは『山田くん』のとき、そのシステムをやめたいと言いだした。ひとりの人間が描いた線で作りたいというんです。自分で作った方法論を否定して、新たに作り直す。創造と破壊と再生。そう言えばかっこいいけれど、現実には50人からいる動画マンの仕事はなくなり、ひとりで線を描かされるアニメーターは疲弊して壊れてしまう。それでも、高畑さんはやりたいと言いだしたら聞きません。スタッフは次々に倒れ、消えていきました。それを知った宮さんは「鈴木さん、どうなってるんだ!」と激怒しました。「おれはこのスタジオを守りたい」。宮さんの気持ちはよく分かりました。

http://bunshun.jp/articles/-/8408?page=3
 作品のためなら何でもする。その結果、未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった。宮さんはよく「高畑さんのスタッフで生き残ったのは、おれひとりだ」と言います。誇張じゃなく、本当にその通りなんですよ。高畑さんの下で仕事をすれば勉強になるとか、そんな生やさしいことじゃないんです。酷使され、消耗し、自分が壊れるのを覚悟しなきゃいけない。

これらの記事を読んだ人は、どう理解するでしょうか?普通は、「疲弊して壊れ」「次々に倒れ、消えて」いったアニメーターは、「ジブリを辞めた」あるいは「アニメ業界からリタイアした、またはアニメーターとして休業を余儀なくされた」と考えるのではないでしょうか。実際、これらの記事へのブコメやまとめ記事のコメント欄では、そのように解釈しているものが多数見受けられます。
実際、私もそう考えまして、高畑氏によって壊れたアニメーターとはどんな人々だろうかと思い、とりあえず『山田くん』のスタッフについて、少し調べてみました。「動画マンの仕事はなくなり」とのことですから、当然壊れたアニメーターは「原画」以上の人ということになりますが、これは作品のクレジットによれば以下の通りです。

となりの山田くん作画監督と原画スタッフ
作画監督小西賢一
原画/安藤雅司 賀川愛 大谷敦子 二木真希子 稲村武志 芳尾英明 山田憲一 吉田健一 松瀬勝 山森英司 倉田美鈴 松尾真理子 湯浅政明 清水洋 古屋勝悟 富田悦子 大平晋也 杉野左秩子 近藤勝也 橋本晋治 山口明子 森田宏幸 浜州英喜 大塚伸治

これを見て、アレアレ?と首を傾げずにはいられませんでした。後期のジブリ作品のスタッフでも何度も目にした人の名前がほとんどであり、吉田健一氏(2000年の『∀ガンダム』以降の富野由悠季作品に参加)や湯浅昌明氏(2004年の『マインド・ゲーム』で長編初監督となり、2017年には『夜は短し歩けよ乙女』『夜明け告げるルーの歌』の2作品を監督)、そして安藤雅司氏(大ヒット作『君の名は。』のキャラデザインと作画監督)など、作画に疎い私でも天才アニメーターと呼ばれていることを知っている人たちが含まれていたからです。
そして、『山田くん』の前後のジブリ長編作品の作画スタッフを調べてみると、さらに疑問が深まりました。『山田くん』は1999年に公開されましたが、その前の長編は『もののけ姫』で1997年公開であり、後の長編は『千と千尋の神隠し』で2001年に公開されています。『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』は、ともに言わずと知れた超ヒット作であり、ジブリの総力を挙げた長編大作です。
以下に、これらの作品の原画以上のアニメーターを挙げてみます。

もののけ姫作画監督と原画スタッフ
作画監督安藤雅司 高坂希太郎 近藤喜文
原画/大塚伸治 篠原征子 森友典子 賀川愛 小西賢一 遠藤正明 清水洋 粟田務 箕輪博子 三原三千雄 大谷敦子 稲村武志 芳尾英明 二木真希子 山田憲一 笹木信作 山森英司 吉田健一 松瀬勝 桑名郁朗 松尾真理子 河口俊夫 野田武広 杉野左秩子  近藤勝也 金田伊功 テレコム・アニメーション・フィルム 田中敦子

千と千尋の神隠し作画監督と原画スタッフ
作画監督安藤雅司 高坂希太郎 賀川愛 
原画/稲村武志 山田憲一 松瀬勝 芳尾英明 山森英司 中村勝利 小野田和由 鈴木麻紀子 松尾真理子 田村篤 米林宏昌 藤井香織 山田珠美 二木真希子 百瀬義行 山下明彦 武内宣之 古屋勝悟 倉田美鈴 山形厚史 君島繁 山川浩臣 大杉宣弘 田中雄一 金子志津枝 浜洲英喜 古川尚哉 小西賢一 大城勝 大平晋也 橋本普治 中山久司 高野登 篠原征子 石井邦幸 山内昇寿郎 テレコム・アニメーション フィルム 田中敦子

いかがでしょうか。『山田くん』は1999年7月に公開され、『千と千尋の神隠し』はその2年後に公開されていますが、『千と千尋の神隠し』の作画作業は2000年2月に始まっており(ウィキペディアの記述による)、『山田くん』の制作終了から半年強というところでしょう。『山田くん』で「壊れ、消えた」アニメーターが、連続して参加するとは考えにくいのではないかと思います。
しかし、『もののけ姫』以降の3作品に連続して参加している人が小西賢一氏・安藤雅司氏・賀川愛氏・二木真希子氏・稲村武志氏・芳尾英明氏・山田憲一氏・松瀬勝氏・山森英司氏・松尾真理子氏の10人、『山田くん』と『千と千尋の神隠し』に連続して参加している人が倉田美鈴氏・古屋勝悟氏・大平晋也氏・橋本晋治氏・浜州英喜氏の5人いらっしゃるわけで、『山田くん』の作画監督・原画の総数25人のうち15人がジブリでの長編制作を続けていることになります。そして、残りの10人のうち、『千と千尋の神隠し』には参加していないものの同年にジブリ美術館で公開された『くじらとり』に原画で参加しているのが、山口明子氏、富田悦子氏、湯浅昌明氏の3人でした(http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/filmo/Slist7.html)。
さらに、残った7人の方々の『山田くん』以後の参加作品については、先述の吉田健一氏を除いて以下の通りです(作画ウィキにリンクを張っています)。
・大谷敦子氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/1458.html
 …ジブリ作品では『千と千尋の神隠し』には参加しなかったものの、2002年の『猫の恩返し』に参加されています。
・杉野左秩子氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/1098.html
 …『山田くん』の後は、2002年以降『ドラえもん』『名探偵コナン』『NARUTO』の劇場版に原画として参加し、2004年の『ハウルの動く城』にも原画で参加されています。
・清水洋氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/700.html
 …『山田くん』以降はジブリ作品には参加しておられないようですが、『山田くん』の翌2000年には『人狼』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』などで原画として参加。
近藤勝也氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/216.html
 …2000年の劇場作品『The AURORA 海のオーロラ』でキャラクター設定を担当。ジブリ作品では、2004年の『ハウルの動く城』に原画で参加し、以後多くの作品に参加されています。
森田宏幸氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/386.html
 …2002年のジブリ作品『猫の恩返し』で監督をつとめておられます。
・大塚伸治氏 https://www18.atwiki.jp/sakuga/pages/59.html
 …2000年に劇場作品『人狼』『BLOOD THE LAST VAMPIRE』で原画を担当し、OVAのシリーズ『フリクリ』にも原画で参加されています。

以上に見てきましたように、作品のスタッフ・クレジットで確認する限りにおいて、『山田くん』の原画以上を担当したアニメーターの3/5が次の『千と千尋の神隠し』に継続して参加しています。そして、ネット上の情報で見たものですが、『千と千尋の神隠し』に参加しなかった人々も別のジブリ作品に参加したり、他社の作品に加わったりしてアニメーターとして仕事を続けています。
さらに、『山田くん』の14年後の2013年に公開された、高畑監督最後の作品となった『かぐや姫の物語』の作画監督と原画スタッフは、以下の通りです。

かぐや姫の物語作画監督と原画(クレジットでは「作画」と表記)スタッフ
作画監督小西賢一
作画:橋本晋治 濱田高行 安藤雅司 山口明子 廣田俊輔 秦綾子 西垣庄子 西田達三 佐々木美和 河口俊夫 古屋勝悟 田村篤 井上鋭 上石恵美 大杉宜弘 石井邦幸 尾崎和孝 川名久美子 鎌田晋平、赤堀重雄 君島繁 神保洋介 佐藤雅子 神谷友美  塚本知代美 川口隆 袖山麻美 八木郁乃 斉藤拓也 林佳織 谷友子 松村優香 小松田大全 五反孝幸 森田宏幸 賀川愛 浜洲英喜 大塚伸治

このように、『山田くん』に参加した25人中、小西賢一氏・橋本晋治氏・安藤雅司氏・山口明子氏・古屋勝悟氏・森田宏幸氏・賀川愛氏・浜洲英喜氏・大塚伸治氏の9人が参加されています。ちなみに、同じ2013年に公開され、制作期間も概ね重なっていた宮崎駿監督の『風立ちぬ』の作画監督と原画スタッフは、以下の通りです。

風立ちぬ作画監督と原画スタッフ
作画監督高坂希太郎 
原画:稲村武志 山下明彦 賀川愛 田中敦子 山田憲一 山森英司 小野田和由 米林宏昌 横田匡史 二木真希子 芳尾英明 古屋勝悟 田村篤 古俣太一 今井史枝 廣田俊輔 三浦智子 奥田明世 近藤勝也 大塚伸治 友永和秀 押山清高 板津匡覧 浜洲英喜 杉野左秩子 粟田務 山川浩臣 大平晋也 青山浩行 大谷敦子 箕輪博子 鈴木美千代 遠藤正明 星野円哉 本田雄

こちらでは、『山田くん』に参加した25人中、稲村武志氏・賀川愛氏・山田憲一氏・山森英司氏・二木真希子氏・芳尾英明氏・古屋勝悟氏・近藤勝也氏・大塚伸治氏・浜洲英喜氏・杉野左秩子氏・大平晋也氏・大谷敦子氏の13人が参加されています。『かぐや姫の物語』『風立ちぬ』の両方に参加されている人が4人いらっしゃいますが、『山田くん』に参加された原画以上のアニメーター25人中18人が、ジブリの大作2作品で腕を振るったということになります。
なお、『千と千尋の神隠し』から『風立ちぬ』までの期間の宮崎駿監督による長編作品は『ハウルの動く城』(2004年公開)と『崖の上のポニョ』(2008年公開)ですが、その作画監督(および作画監督補)と原画スタッフは、以下の通りです。

ハウルの動く城
作画監督山下明彦 稲村武志 高坂希太郎
原画 :田中敦子 賀川愛 山田憲一 芳尾英明 山森英司 小野田和由 鈴木麻紀子 松尾真理子 田村篤 米林宏昌 奥村正志 横田匡史 松瀬勝 二木真希子 篠原征子 近藤勝也 杉野左秩子 山川浩臣 栗田務 武内宣之 君島繁 桝田浩史 大杉宣弘 橋本敬史 増田敏彦 八崎健二 田中雄一 浜洲英喜 大平晋也 小西賢一 重田敦 山田勝哉 大塚伸治

崖の上のポニョ
作画監督近藤勝也 
作画監督補:高坂希太郎 賀川愛 稲村武志 山下明彦
原画:田中敦子 山田憲一 芳尾秀明 山森英司 小野田和由 松尾真理子 古屋勝悟 鈴木麻紀子 田村篤 米林宏昌 横田匡史 佐藤雅子 今野史枝 廣田俊輔 二木真希子 大塚伸治 濱洲英喜 小西賢一 栗田務 杉野左秩子 箕輪博子 武内宣之 山川浩臣 末吉裕一郎 橋本敬史 本田雄

このように、『ハウルの動く城』には『山田くん』に参加した25人中、稲村武志氏・賀川愛氏・山田憲一氏・芳尾英明氏・山森英司氏・松尾真理子氏・松瀬勝氏・二木真希子氏・近藤勝也氏・杉野左秩子氏・浜洲英喜氏・大平晋也氏・小西賢一氏・大塚伸治氏の14人が、『崖の上のポニョ』には近藤勝也氏・賀川愛氏・稲村武志氏・山田憲一氏・芳尾秀明氏・山森英司氏・松尾真理子氏・古屋勝悟氏・二木真希子氏・大塚伸治氏・濱洲英喜氏・小西賢一氏・杉野左秩子氏の13人が参加されています。
さて、以上のジブリ作品における作画スタッフの変遷を見る限り、『山田くん』に参加した原画以上のアニメーターの方々は、『山田くん』の後もジブリ作品に参加し続けている人が多く、ジブリから離れた人もアニメーターとしてあるいは監督として活躍を続けており、『山田くん』の仕事が終わった後にアニメ業界から完全にリタイアした人は1人もいなかった、ということはほぼ確かでしょう。
ここで、冒頭の鈴木敏夫氏のインタビューを読み返してみてください。
これらの鈴木氏の発言は、適切なものといえるでしょうか?鈴木氏のおっしゃる「未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった」とは具体的に誰なのでしょうか?とか、宮崎駿監督は「高畑さんのスタッフで生き残ったのは、おれひとりだ」とおっしゃっているそうですが「高畑さんのスタッフ」であったアニメーター達をご自分の監督作品で使い続けておられたのでは?などと疑問が湧いてこざるを得ないところです。
『山田くん』という作品が、それまでとは大きく異なる作り方を要求し、莫大な労力を必要とするものであったため、参加したアニメーターの方々が困惑し疲弊してボロボロになった、ということなら理解できますし、完成した作品を観れば素人目にもそうだったのだろうなと想像できます。
しかし、「スタッフは次々に倒れ、消えていきました」「未来を嘱望された人間を次から次へと潰してしまった」という言い方をすれば、「高畑さんのスタッフ」であったアニメーターは「ジブリを辞めた」「アニメーターを続けられなくなった」と解釈するのが普通でしょうし、実際そのように思っている人が多いように思われますが、ここまで見てきましたように、それは明らかに事実に反しています。控え目に言って、誤解を生む言い方であったと言わざるを得ないでしょう。
なお、「高畑さんの下で仕事をすれば勉強になるとか、そんな生やさしいことじゃないんです。酷使され、消耗し、自分が壊れるのを覚悟しなきゃいけない。」という部分につきましては、「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1のブコメでも指摘されていますが、西村義明氏(ジブリでは『かぐや姫の物語』のプロデューサー)による伝聞であるものの、鈴木氏が以下のような発言をしていたという話もあります。なお、これは西村義明氏(株式会社スタジオポノック 代表取締役/プロデューサー)、庵野秀明氏(株式会社カラー 代表取締役社長)、川上量生氏(株式会社ドワンゴ 代表取締役会長)の3氏による2017年に行われた鼎談の一部です。

 https://logmi.jp/217381
 庵野 そんなん、どうやってアニメーターに強要できるんだろうっていう難しいアングルをやるじゃないですか。宮崎さん、そんな時はもうパッとカメラ上に上げちゃいます。 宮崎さんのいいところは、自分が描けないレイアウトはやんないんですよ。「あー、面倒くさい」って思ったら、たぶん面倒くさくないカットに変えちゃいますよね。 高畑さんは自分で描かないんで、それを絵描きに強要してますよね。あれが高畑さんのすごいところですけど。
西村 うーん、まあ、強要しますよね。
川上 自分がやらないと強要できる(笑)。
庵野 宮崎さんの場合、「じゃあ、俺が描く」になるし、アニメーターも「じゃあ、宮崎さん描いてくださいよ」になる。
西村 あの2人の差は、すごくおもしろいですよね。
庵野 おもしろいです。
西村 鈴木さんが一時期言ったのが、「宮崎さんは自分で描くから、自分が描ける範囲のことでやっちゃうけど、高畑さんは自分が描かないから、みんなに要求しだす」と。
庵野 ええ。
西村 「そうすると、高畑さんの現場は人がグワーッと育つんだ」と、みんなもう上限上げなきゃいけないんで。「その2人の差があるんだよなあ」って言ってて。

文春ジブリ文庫での発言とはほとんど正反対にも感じられる発言ですが、スタッフの変遷で見る限り、むしろこちらの方が実態に近いのではないかとも思われます。