国会議員でもある国務大臣が議員選挙で落選した場合には大臣職を去るべき、という主張に対して感じる疑問



 こちら(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110608/p2)にブックマークさせて頂きましたが、100字では疑問の内容について論じることができなかったので、エントリをたてることにします。なお、私のブックマークについては、こちら(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110609/5432109876 )でbogus-simotukare氏が言及して下さっています。
 さて、gryphon氏は、昨年の参院選挙で落選した千葉景子氏に対して法務大臣を辞任すべきという批判が起こったことに言及して、以下のように述べておられます。

んで、千葉話っすけど。要は「議員選挙に落選した千葉氏は大臣職も辞せよ」というのは「選挙によって千葉氏は、選挙民から(今回は)政治に携わる力量が無いと見なされた・・・【と推論される】”。だから大臣職も去れ」、とゆう話です。

 この箇所に疑問を感じたので、私は「いささか無理のありすぎな「べき論」だと思います」とブックマークで述べさせて頂いたのですが、その疑問点について、以下に説明します。
                  
 まず第1の疑問点は、議員選挙に落選した国務大臣は大臣職を辞するべきだ、という主張を認めた場合、国務大臣の間に大きな不均衡が生じることになりますが、それで良いのですか?ということです。
国務大臣過半数は国会議員から選ばれますが、議員選挙の結果によって国務大臣としての資質が国民の審判にさらされるとすれば、その審判を受けるのは国会議員でもある国務大臣のみということになってしまいます。すると、国会議員でもある国務大臣の立場からすれば、なぜ自分たちだけが国民の審判にさらされて、国会議員でない国務大臣は国民の審判を受けることがないのか?ということになるでしょうし、国民の立場からすれば、国会議員でもある国務大臣に対しては国民が審判できるのに、なぜ国会議員でない国務大臣に対してはそれができないのか?ということになるでしょう。

 次に第2の疑問点は、「選挙に落選したことによって、落選した国務大臣は政治に携わる力量がないとみなされたと推論する」という考え方を認めた場合、同時に「選挙に当選したことによって、当選した国務大臣は政治に携わる力量があるとみなされたと推論する」という考え方も認めなければならなくなりますが、それで良いのですか?ということです。
例えば、大臣としての職務上で何らかの問題を起こし、批判されている国務大臣がいたとします。そして、批判されている最中に議員選挙が行われ、その大臣が当選した場合、もしもその大臣が「私は議員選挙に当選したのだから、国務大臣として私がやってきたことは国民の支持を受けていることになる」と言いだしたとしたら、これを正当な主張であると認めなければならなくなってしまうでしょう。それは、かなり理不尽な話だと思います。

 最後に第3の疑問点として、選挙に落選したことによって落選した国務大臣は政治に携わる力量がないとみなされたと推論することは、そもそも正しいのだろうか?ということを指摘したいと思います。私は、そのような推論はある程度は成り立つだろうとは思いますが、その一方で選挙民の意思を歪めてしまうおそれがあり、また能力の高い国務大臣が罷免される一方で、能力の低い国務大臣が罷免されないおそれもあるのではないか、と思います。
まず、なぜ選挙民の意思を歪めてしまうおそれがあるのかと言いますと、議員選挙とはある選挙区に立候補した候補者のうちから最も議員にふさわしいと思われる人物を選挙民が選ぶことであり、不適格と思われる候補者を選ぶことではないからです。勿論、当選した候補者に投票した選挙民は、落選した候補者に対して国会議員になってほしくないと思いながら投票した可能性は大いにあるでしょう。しかし、落選した候補者も国会議員としては悪くはないけれど、当選した候補者の方がより国会議員としてふさわしいと考えて投票した選挙民もいた、という可能性もまたあるわけです。それなのに、落選したことで「選挙民から(今回は)政治に携わる力量が無いと見なされた」と判断することは、「落選した候補者も国会議員としては悪くはないけれど、当選した候補者の方がより国会議員としてふさわしいと考えて投票した」選挙民の意思を歪めることになるのではないでしょうか?
これは、議員選挙とは選挙民が候補者に対して相対的な評価を行って高い評価を得た1人または数人が当選するという制度であるのに、その相対的な評価の結果をもって、政治に携わる力量があるか否かの絶対的な評価を行おうとするために起こる矛盾だと思います。
 そして、このような矛盾によって、能力の高い国務大臣が罷免される一方で、能力の低い国務大臣が罷免されない、ということも起こり得るのではないでしょうか。
ここで、少し仮定の話をします。例えば、A大臣とB大臣という2人の大臣がおり、それぞれα選挙区とβ選挙区から選出された国会議員でもある、とします。そして、非常に単純化した仮定ですが、A大臣の政治家としての能力は5段階評価で「4」であり、B大臣の政治家としての能力は5段階評価で「3」であるとします。この場合、A大臣とB大臣のどちらかが辞めなければならないとしたら、B大臣が辞めるべきということになるでしょう。
ところが、α選挙区の選挙においてA大臣以外の候補者の中に「5」の能力をもった候補者が出馬し、選挙民が正確に候補者の能力を判断して投票したらどうなるでしょうか?当然、「4」の能力を持ったA大臣は落選するでしょう。一方、β選挙区の選挙においてはB大臣以外の候補者のレベルが低く、「2」の能力を持った候補者しかいなかったとしたらどうでしょう?当然、B大臣は当選することでしょう。すると、選挙に落選したことによって落選した国務大臣は政治に携わる力量がないとみなされたと推論するという考え方に立てば、「4」の能力を持ったA大臣が辞めるべきであり、「3」の能力しか持たないB大臣は辞めるべきではない、ということになるわけです。これは、ずいぶんと不合理な話ではないでしょうか?

 以上のような点から、国会議員でもある国務大臣が議員選挙で落選した場合には大臣職を去るべき、という主張に対しては、これを正当な主張と認めた場合に生じるだろう矛盾や不合理さなどから、認められるべきではないのではないか、と私は考えます。