つくる会シンポジウム

http://d.hatena.ne.jp/claw/20050619を通して、「つくる会」のシンポジウムの内容を知りました。

 田久保忠衛理事は、専門である防衛問題の観点から、拉致問題を取り巻く国際的な文脈を説明。1970年代後半に、旧ソ連が西ドイツ国境に中距離ミサイルを配備した事件を例としてあげる。その折、西ドイツはミサイルを撤去してもらう見返りにソ連に経済援助を提案するどころか、対抗措置として米国から巡航ミサイルを輸入し、国境沿いに配備してソ連に対抗。攻撃能力を等しくし、いつでも開戦を辞さないという態度で兵力削減の交渉に臨みました。それは、戦略的均衡が、結局は平和共存への道を開いた一例です。

 そこで氏は、「拉致事件では、こっちも60人か70人拉致するんですよ。そして交換で釈放しようというのが交渉のABCだと思う」と提言。会場から割れんばかりの拍手と激励の言葉が飛び交いました。必ずしも事件解決のためのベストの方法ではないでしょうが、多くの日本人の共感を呼ぶ表現ではないでしょうか。

 シンポは、その始めから終わりまで涙あり笑いあり、終始聞く者を飽きさせることのない展開で、聴衆に大きな感動をあたえました。
http://www.tsukurukai.com/08_simpo/simpo22_report.html

 このシンポジウムに出席していたという横田夫妻も、田久保忠衛氏の「拉致事件では、こっちも60人か70人拉致するんですよ。」という言葉に拍手したのでしょうか。もしそうなら、何とも遣り切れない気持ちになる話です。
 それにしても、この記事の内容からしか判断できませんが、田久保忠衛氏は緊張緩和や核軍縮の流れについて、60年代後半〜70年代にかけての米ソ両超大国の相対的な地位低下、80年代前半のアメリカのレーガン軍拡路線と反核運動の世界的な盛り上がり、そして80年代半ばのソ連ゴルバチョフ政権成立とレーガン政権の方針転換による米ソの緊張緩和といった大きな流れには触れずに、西ドイツが「攻撃能力を等しくし、いつでも開戦を辞さないという態度で兵力削減の交渉に臨」んだから平和共存が成ったと主張されたのでしょうか?だとすれば、あまりにも単純化した見方であるように思われます。