靖国参拝問題・野良猫さんとの議論 (その3)

 野良猫さんが、(その2)に対してさらに新エントリを作って下さいました。以下に引用転載します。http://noraneko.at.webry.info/200507/trackback

政治:のらねこ戦記 第22話「戦犯とされた人達の戦後について」 << 作成日時 : 2005/07/23 03:31 >>

ジムシィさん」からご意見をいただいたのでレス。今までのまとめ的な内容。

・歴史的経緯の基礎知識

 元々の経緯を再度説明します。昭和28年8月3日に「戦争犯罪の受刑者の赦免に関する決議」が国会で審議されました。これは昭和27年の独立以降、日本弁護士会をはじめとする戦犯釈放運動が盛んになり、署名は四千万名にも達した事がきっかけとなっています(もちろん、他にも同種の陳情が相次いでいた)。

 その決議の結果、A級、BC級ともに昭和33年までに釈放されています。これは当時の連合国から承認を得てのことであり、国際法などの問題点もありません。また、当時の野党だった共産党社会党からも一人の反対者も出ませんでした(経緯はある程度「ゴーマニズム宣言」でも紹介されている)。

 この課程で、戦犯の家族への軍人恩給の支給、戦犯とされた人々を「公務死の昭和殉難者」という名称で呼ぶことも決まりました。その結果、靖国神社に合祀できない理由はどこにも無くなり、現在に至っています。
 ここでのポイントは、当時の保守政権が民意を無視して戦犯を釈放したり、名誉回復をした訳ではないという事。そして、連合国が反対しなかったという所。さらには、ABCという区別はこの時点で消滅しているのです。こういった経緯を知っていると、今更になって大陸や半島が「A級戦犯」という言葉を使うのに「……?」と疑問を抱く訳ですね。

 もし不満があるのなら、彼らの国はその時点で反対すべきだった。それが問題化したのは、国内で経緯を知る者が少なくなった時期をついて、朝日新聞が動いた為です(その点は流相馬さんの説明通り)。外交とは、理が通らなくても国益を勝ち取る競争です。ですから、中国のやり方は気に入りませんが手法としては理解できます。問題は、日本側が毅然として反論しない点にあります。

 ……さて、こうした経緯をもとに考えると「分祀論」は、ほとんど意味を失ってしまいます。自分もつい先日分かったことですが、連合国の承認を得ているのが大きい。
 つまり、日本は諸判決の内容は受け入れつつも、名誉回復の承認を得ることで実質的な要求を満たす。それに対して、連合国側は東京裁判の違法性を含めた、いくつもの手落ちを改めて騒がれたくないのでそれを認めた。
 いわば、日本と連合国側はそういう形で「手打ち」をしていたと解ってきた。

 だとすると「A級戦犯を祀るのはダメ」という、大陸側の要求は明らかなブラフであり、それに動揺させられてしまった日本政府がだらしなかった事になる。あるいは、日本の左翼勢力による宣伝戦の勝利とも言えそうです。そういう意味では「日本が悪い」のでしょうね(汗)。
 このあたりは、政府関係者のミスについて詳しく説明されている本があります。興味があれば調べてみてください。

・現実的な対策と、その他いろいろレス

 本来ならば、こういった内容を朝日新聞などが積極的にとりあげるべきなのです。もちろん、自らが引き起こした摩擦も含めた上で。本当に「日中友好」を望むのならば、それが最善手のはず。それをしないのは、そちらのコメント欄で触れたとおり「富井副部長」なのかなあ、と思います(苦笑)。
 自分自身を傷つける覚悟もない「正論」などに、説得力はありませんからね。

政教分離」とは、無宗教を目指すのではなく特定の宗教を優遇しない主旨です。実際には、その国で最も普及している宗教をベースにして各国は取り組んでいます。なんら問題はありません。

 また、ジムシィさんが「中国・韓国が靖国神社について日本国首相に要求など行ったこともないはず」とお考えでしたら、そもそも気にする必要はありませんね。彼らの国内でどんな発言や歴史観を持とうと、それは別に問題ないのです。
「物理的事実」はともかく「歴史観」を多国間で共有する事などは不可能ですし、意味がありません。それも前述の通り。

「中国側がBC級まで問題化することはあり得ない」では、反論になっていません。質問したのは、そうなった場合にどう対処するかです。ここ数年はともかく、数十年後に「日本は戦犯をまだ合祀している!」と要求された場合にどうするか。歴史的経緯を知らない人達がどんな主張するか想像すると面白そうですね。「だって、一度は分祀したじゃん!」と言われた時どうなるのやら……。
 一度譲歩してしまうと、もう取り返しがつかない事が世の中にはたくさんあります。

 また、公式参拝を中断するメリットについて「日本国が筋の通らないことをして外国から抗議されるような隙が一つ減る」という主張には、「そもそも、経緯を無視したごり押し。筋が通ってないのは彼ら」と反論させていただきます。
 個人の人間関係においても、筋の通らない要求はたびたびされるもの。規模の大きい国家間ではなおさらのことです。単に受け入れているだけでは、私たちは生きていくことは出来ないと知っているはずですが、「日本」に対してはそれを無尽蔵に要求する人達がいるようで、困ったことだと思います。

・まとめ

 この問題のポイントは、一般の日本人が歴史的経緯を知らないケースが多いところ。交渉ごとを有利に進めるには、相手になるべく余計な知識を持たせないのが鉄則です。そういう観点から見れば「公式参拝中断論・分祀論」などの見られる現状は、大陸や半島にとって都合のいい世論(せろん)になっていると言えます。
 だからこそ「つくる会」の動きに対して、あれほど敏感にもなるのでしょう。とても分かりやすい構図ですね。日教組の人達が感情的になるのは、基礎教育の場にイデオロギー教育を混同させているという、ある種のやましさを自覚しているのかもしれません。

 ジムシィさんに現実的な「靖国論」を期待していたのですが、従来の焼き直しの域を出る内容ではなさそうです。「わたしはそうは思いません」というのは「感想」に過ぎず、誤った箇所を指摘した上でさらにベターな意見を出すのが「反論」なのです。
 
 ここから「反論」の可能性があるとしたら「靖国神社に合祀されたくない人も少しはいる」という個別ケースか「名誉回復の決議をした当時の国会は右翼的・あるいは連合国側は騙されていた」という当時の経緯を否定する内容。
 あるいは「公式参拝を中断するという決断をきっかけにした、日中友好論」くらいでしょうか。
 よほど目を引く内容でない限り、お返事する保証はできませんが、考えてみてください。

 
 どうも、野良猫さんと私とでは、歴史的な事実に関する認識自体に大きな隔たりがあるようで、このままでは議論がかみ合いそうにないように思われます。以下に、野良猫さんのエントリに対する疑問点を挙げていきますので、お答えを頂けると有難いです。

[1] 「歴史的経緯の基礎知識」への疑問

>昭和28年8月3日に「戦争犯罪の受刑者の赦免に関する決議」が国会で審議されました。〜

 この「戦犯赦免に関する決議」に関しては、既に私が7月10日0時43分の投稿文で、「ここで決議されたことはあくまでも「赦免」であって、「名誉回復」ではないと思います。〜東京裁判の判決が無効とされたことはないはずですが。」と述べ、swan_slabさんによる御論考を紹介し、さらにswan_slabさんから頂いたコメントにおいて、この問題に関する政府答弁書も提示されています(http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/121/touh/t121012.htm)。そして、これらに対する野良猫さんからの反論は未だにありません。なのに、どうして「名誉回復がなされた」という前提で相変わらず話をお進めになるのですか?(「当時の保守政権が民意を無視して戦犯を釈放したり、名誉回復をした訳ではない」とおっしゃっているということは、野良猫さんはこの決議で「名誉回復がなされた」という認識に立っておられると考えてよろしいですね。)
 では、まず「名誉回復」の意味するところについて、事例を挙げて考えてみます。例えば、いわゆる冤罪事件の場合、再審によって無罪判決が下されれば、以前の有罪判決は取り消されるので、これは「名誉回復がなされた」と言えるでしょう。しかし、例えば選挙違反で刑に服している人物が、恩赦によって釈放された場合、これを「名誉回復がなされた」と言えるのでしょうか?これは、とてもそうは言えないでしょう。
 ここでもう一度、吉岡吉典参院議員(当時)の「質問主意書」と海部首相(当時)の「政府答弁書」の内容を確認しておきます。
質問主意書http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/syuisyo/121/syuh/s121012.htm
質問主意書より引用
「二の4 「赦免」とはどういうことか。赦免によって軍事裁判の判決の効力自体が消滅するのか、それとも残るのか。」
政府答弁書より引用
「二の4について
 平和条約第十一条及び平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律に規定する「赦免」とは、一般に刑の執行からの解放を意味すると解される。赦免が判決の効力に及ぼす影響について定めた法令等は存在しない。」
これらを読む限り、有罪の判決は取り消されておらず、その効力は持続しており、「名誉回復がなされた」と考えるのは無理だと思われます。
さらにA級戦犯の場合、「赦免」された人物はおらず、政府答弁書では「昭和三十三年四月七日付けで、同日までにそれぞれ服役した期間を刑期とする刑に減刑された」となっています。つまり、その時点で刑期を終えた、ということですね。さて、刑期を終えることによって「名誉回復がなされた」と言えるのでしょうか?これは、さらに無理なことでしょう。例えば、殺人犯が有罪判決を受けて投獄されたとして、刑期を終えて出所すれば「名誉回復がなされた」ことになるのでしょうか?そんな無茶な話はないでしょう。
 

>この課程で、戦犯の家族への軍人恩給の支給、戦犯とされた人々を「公務死の昭和殉難者」という名称で呼ぶことも決まりました。

 「「公務死の昭和殉難者」という名称で呼ぶことも決まりました」?どこにおいてでしょうか?靖国神社のHP(やすくにQ&A)では、戦犯裁判によって処刑された1068人を靖国神社では「昭和殉難者」とお呼びしています、とありますので、「昭和殉難者」は靖国神社独特の表現だと思っていましたが。
また、A級戦犯として刑死した7人が「公務死」扱いとなったのは、日本が独立を回復したことによる法的な取扱いの変化によるものです。日本が連合国による国際的な占領下にあった時は、国際法=日本の国内法であったので、戦犯とされた人々は国内法上の受刑者だったわけですが、日本が独立を回復した後は、国際法で裁かれた戦犯を国内法上の受刑者とは見なせなくなった、ということです。だから、有罪判決が取り消された、ということではありません。


>ここでのポイントは、当時の保守政権が民意を無視して戦犯を釈放したり、名誉回復をした訳ではないという事。そして、連合国が反対しなかったという所。

 「戦犯赦免に関する決議」があくまでも「赦免」「減刑」を決議したものであり、戦犯の「名誉回復」をするものではなく、判決の否定を意味するものでもなかった以上、「連合国が反対」する理由はありません。


>さらには、ABCという区別はこの時点で消滅しているのです。

 これは、どういう事柄を指しているのですか?先述の政府答弁書から、以下に引用します。
戦争犯罪裁判を、A、B、Cの三級に区別することは、公式に行われていたわけではないが、いわゆるA級及びBC級戦争犯罪裁判の区別について承知しているところは、おおむね次のとおりである。
 いわゆるA級戦争犯罪人とは、極東国際軍事裁判所において審理された戦争犯罪人を指し、これを裁いた裁判がA級戦争犯罪裁判といわれている。
 いわゆるBC級戦争犯罪人とは、日本国内及び国外において連合国が開いた法廷のうち極東国際軍事裁判所以外のもの(以下「連合国戦争犯罪法廷」という。)において審理された戦争犯罪人を指し、これを裁いた裁判がBC級戦争裁判といわれている。」
 このように、A級戦犯とBC級戦犯は別々に裁かれており、また公式の用語ではなかったわけですが、その区別が消滅するとは、具体的にどういうことなのでしょうか?


>もし不満があるのなら、彼らの国はその時点で反対すべきだった。

 彼らの国(中国・韓国)は、A級戦犯減刑されたことに反対した(またはしている)のですか?そのような事実はありません。


>それが問題化したのは、国内で経緯を知る者が少なくなった時期をついて、朝日新聞が動いた為です(その点は流相馬さんの説明通り)。

 流相馬さんに対しては、7月10日0時41分の投稿文で、「「A級戦犯の合祀が公表されたのが1979年で、その時には中国、韓国は特に何も言ってこなかった」のは当然のことだと思います。ある国家が、他国の国内にある一宗教施設に対してあれこれ注文をつけるなど、普通はあり得ないことでしょう。繰り返しますが、「A級戦犯を神として祀る靖国神社に、日本の首相が公式参拝することは、軍国主義の美化につながる」というのが彼らの主張であり、ここで問題になっているのは日本の首相による公式参拝という行為なのですから、1985年から抗議が始まったことは筋の通った話だと思いますが。」と私の意見を述べさせて頂きましたが、野良猫さんはどのようにお考えですか?「朝日新聞が動いた為」とおっしゃる根拠は何なのでしょうか?


> つまり、日本は諸判決の内容は受け入れつつも、名誉回復の承認を得ることで実質的な要求を満たす。それに対して、連合国側は東京裁判の違法性を含めた、いくつもの手落ちを改めて騒がれたくないのでそれを認めた。
 いわば、日本と連合国側はそういう形で「手打ち」をしていたと解ってきた。

 ここまで述べた通り、「名誉回復の承認を得」てはおりません。また、「連合国側は東京裁判の違法性を含めた、いくつもの手落ちを改めて騒がれたくないのでそれを認めた」とおっしゃるのは、どういう根拠に基づくものなのでしょうか?


>「A級戦犯を祀るのはダメ」という、大陸側の要求は明らかなブラフであり〜

 中国が「A級戦犯を祀るのはダメ」という要求をしたというのは、私は寡聞にして聞いたことがありません。これまで何度も繰り返し述べ、また⑥でも再度引用していることですが、中国政府は「A級戦犯が神として祀られている靖国神社に、日本国の首相が公式参拝することは、軍国主義の美化につながる」と抗議しているのです。彼らが抗議しているのは、あくまでも「日本国首相が公式参拝すること」に対してであり、「靖国神社A級戦犯を祀ること」に対してではありません。中国政府が靖国神社に対して「A級戦犯を祀るな(または分祀せよ)」と要求したことがありましたか?もしもあったのなら、どうかその事例をお教え下さい。彼らが言っているのは、「もしも靖国神社A級戦犯が祀られなくなれば、中国政府が小泉首相靖国参拝に抗議する理由はなくなる」ということだったはずです。中国政府も、他国の一宗教法人に対してあれこれ指図することなどできないことは弁えていると思いますし、外交交渉で出来ることと出来ないことの区別はつけているように思われます。


[2]「現実的な対策と、その他いろいろレス」への疑問

> 本来ならば、こういった内容を朝日新聞などが積極的にとりあげるべきなのです。もちろん、自らが引き起こした摩擦も含めた上で。〜

 これについては、[1]の⑥で述べた通りです。


>「政教分離」とは、無宗教を目指すのではなく特定の宗教を優遇しない主旨です。実際には、その国で最も普及している宗教をベースにして各国は取り組んでいます。なんら問題はありません。

 「政教分離」が問題になるのは、国内法においてです。日本の場合、日本国憲法で「政教分離」がどのように定められているかが最大の問題となるはずです。それなのに、なぜ「その国で最も普及している宗教をベースにして各国は取り組んでいます」と、各国の「政教分離」のあり方について述べられるのでしょうか?
それから、「「その国で最も普及している宗教をベースにして各国は取り組んでいます」という言葉自体も、よく理解できません。具体的に、どういうことを指しておられるのですか?また、「政教分離」とは「特定の宗教を優遇しない主旨」とおっしゃりながら、そのすぐ後で「その国で最も普及している宗教をベースにして」とおっしゃっておられますが、矛盾をお感じにならないのでしょうか?


> また、ジムシィさんが「中国・韓国が靖国神社について日本国首相に要求など行ったこともないはず」とお考えでしたら、そもそも気にする必要はありませんね。彼らの国内でどんな発言や歴史観を持とうと、それは別に問題ないのです。

 どうも、おっしゃることの意図が理解できません。「彼らの国内でどんな発言や歴史観を持とうと」とおっしゃいますが、私が議論の中で、中国・韓国政府による「彼らの国内での発言」や「歴史観」を論じたことはありません。議論しているのは、中国・韓国政府が日本に対して行った抗議に正当性があるか否か、ということではないのですか?


>「中国側がBC級まで問題化することはあり得ない」では、反論になっていません。質問したのは、そうなった場合にどう対処するかです。

 野良猫さんは、他人の書いたものを最後までお読みにならないのですか?私はそのすぐ後に、「中国側に対してその主張が首尾一貫していないと反論すれば良いでしょう」と述べているではありませんか。


>また、公式参拝を中断するメリットについて「日本国が筋の通らないことをして外国から抗議されるような隙が一つ減る」という主張には、「そもそも、経緯を無視したごり押し。筋が通ってないのは彼ら」と反論させていただきます。

「[1] 「歴史的経緯の基礎知識」への疑問」で述べましたように、失礼ながら、野良猫さんの「歴史的経緯の基礎知識」には多くの疑問を感じざるを得ません。ですから、野良猫さんの反論には、納得することはできません。