日新館

 櫻井よしこ氏は、最近のブログ記事において、会津藩の日新館で行われた教育を高く評価しておられます(http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/01/post_412.html)。
 この記事を読んでいて思い出したのが、以下の記事です。一部引用させて頂きます。

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/aizu-byakkotai.html
中島昭二『まんが 会津白虎隊』
(略) 
「やむをえざる戦争」論以外に、本書を読んで強く印象づけられるのは、白虎隊がうけた教育の称揚です。藩士の子弟たちは日新館という藩校につどい、「什の掟」という教育をうけます(什とは10人組という意味で教育をうける集団のこと。今日風にいえば学級)。

「年長者のいうことに背いてはなりませぬ」
「年長者には、おじぎをしなければなりませぬ」
「嘘をついてはなりませぬ」……

などの徳目でうめられ、最後に「ならぬことはならぬものです」という土井たか子のような一句がつけられます。そしてこの精神教育が武士道の誠実さをはぐくみ、白虎隊へとつながっていきます。白虎隊が自決するシーンで次のようなセリフと解説がはさまれます。

「『みんなでいさぎよく腹を切ろう!』 この時、全員がそう思っていた。主君のために命を捨てる、それは幼い頃から少年たちに培われてきた精神だった」
 
 以上をふりかえって、「やむをえざる戦争」論といい、「主君につくす武士道精神の称揚」といい、ぼくは、大日本帝国のミニチュアのような精神運動を感じました。じっさい、白虎隊のエピソードは戦前の教科書にくり返し登場し、軍国主義をささえていく精神的な道具としても使われてきました(小檜山六郎『会津白虎隊のすべて』)。

 いえ、まちがいなくこの藩校の精神教育の結果が白虎隊の末路だとは思いますし、それをたんに歴史のひとこまとして冷静にみているだけならそれはそれでいいと思うのです。

 しかし、さきほどの「什の掟」などは形をかえて、今日の会津の子どもたちの道徳教育に使われているようだし、こういう民間施設にせよ会津の精神運動的にいまだに白虎隊や藩校がその位置をしめていることは、なんだかなあと思うわけです。

 ぼくは白虎隊の自刃地であり墳墓のある飯盛山に登ったのですが、そこで一番巨大なモニュメントは西洋風な鷲の彫像なのです。偉容というか異様というか。実はローマ市から白虎隊を顕彰して送られたものらしいのですが、基石をよくみると「ファシスタ党」というイタリア語での刻印があります。つまり武士道精神をもちあげようというムッソリーニ・ファシスタが送ってきたものなのです。占領軍によって戦後このくだりが削られたようですが、現在は復活しています。
 そういうことがあまりに無邪気に混在している、というのが、この白虎隊をめぐる郷土ナショナリズムではないかなと本書を読んで、あるいは会津若松付近を歩いて強く感じました。ちなみに、あとで会津若松市にある福島県立博物館に行きましたが、白虎隊の説明などたったの1枚の絵での説明だけで、説明の調子もごく淡々と客観的に書いてあるのみでした。
(後略)

 白虎隊や日新館についてある程度の知識は持っておりましたが、ムッソリーニからの贈り物が現在でも置かれているとは、全く驚いた話です。
 それにしても、日新館の歴史的背景を全く切り離して、その教育のあり方を称揚する櫻井よしこ氏の教育論には、疑問を感じずにはいられません。