ロマ書 第13章 続き

 4月5日のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060405/p1)に対して、finalventさんが追記を書いておられます(http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060323)。失礼ながら、忙しさにかまけて返答しないまま随分と時間が経過してしまいましたので、新エントリを立てさせて頂きます。

 まず、私の「また、「ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもない」とのことですが、だとすると皇帝礼拝を拒否して迫害されたキリスト教徒はどうなるのでしょうか?」に対して、次のように述べておられます。

「忠誠」を「皇帝礼拝」と何故読み替えるのが(か?引用者注)理解不能

 ローマ帝国における皇帝礼拝は、帝政初期の元首政(プリンキパトゥス)の時期にはかなり緩やかで、さほど強制的なものでない場合が多かったようですが、帝政後期の専制君主政(ドミナトゥス)の時期になると完全に強制的なものとなりました。そして、皇帝礼拝を拒否するキリスト教徒は、皇帝への忠誠心に欠けた者達として激しい迫害を受けるようになり、特にドミナトゥスを始めたディオクレティアヌス帝による迫害は最大のものとなりました。このような歴史から考えれば、ローマ帝国において皇帝礼拝を拒否して迫害されたキリスト教徒は、「ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンする」例としてとらえることができるのではないでしょうか?



 そして、私の「そのような歴史的経緯を持ったものを、日の丸・君が代の強制に関する文脈で持ち出されるというのは、歴史に対してあまりにも無頓着ではないでしょうか。」という部分に対して、次のように述べておられます。

 おっしゃられる「歴史」というのは、それはそれで一つの「宗教的・道徳的規範」ではないのか。そういう規範よりパウロの言葉=規範が優先されることはキリスト教徒には普通はないと思う。キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとしてして耐えている。

 まず、「そういう規範よりパウロの言葉=規範が優先されることはキリスト教徒には普通はないと思う。」という文は、「そういう規範「が」パウロの言葉=規範「より」優先されることはキリスト教徒には普通はないと思う。」の書き間違いだと思われますので(そうでなければ、finalventさんの文意とは正反対になってしまいますので)、勝手ながら、読み替えさせて頂きます。それから、「キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとしてして耐えている。」は「キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとして耐えている。」ですね。
 さて、「おっしゃられる「歴史」というのは、それはそれで一つの「宗教的・道徳的規範」ではないのか。」とおっしゃっておられますが、いささか意味がわかりにくいところです。ここで私が申し上げた「歴史」とは、「軍国主義時代に神社参拝が強制されるようになった時、それを拒否するキリスト教徒に対して強制を正当化するために」「ロマ書第13章」が持ち出された、ということであり、これ自体は「歴史的事実」であって「宗教的・道徳的規範」ではありません。
 次に、「そういう規範「が」パウロの言葉=規範「より」優先されることはキリスト教徒には普通はないと思う。」という文についてですが、私が「歴史に対してあまりにも無頓着ではないでしょうか」と申し上げたのは、「キリスト教徒」に対してではなくfinalventさんに対してです。ですから、「パウロの言葉」である「ロマ書第13章」を「キリスト教徒」がどのように考えているかは、この場合関係ないのではないでしょうか。


 また、「パウロの言葉=規範」についてですが、「ロマ書第13章」がいかなる規範を求めたものであるかについては、キリスト教徒の間でも、様々な解釈があるのではないでしょうか?例えば、立教大学のチャプレン香山洋人氏による以下の説教のように。

http://www.rikkyo.ne.jp/~kayama/mokusou/2005apr27.htm
「人はみな上に立つ権威に従うべきです」、これは先輩の言うことを聞け、目上に従えということだと言ってもいいが、問題は次だ。「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」。これが目下の者に対して語られた言葉なのか、それとも、目上の者に対して言っているのか、この違いが大きいことはお分かりだろう。権威あるものが目下のものに対してこう語ったとすれば、実に傲慢不遜でまさに権威主義だ。しかし目上の者に対する言葉として語られたとすればどうだろう。あなたたち権威者の権威は神によって与えられたはずだ。その権威はすべて神に由来するはずだ、あなたたちは権威の由来にふさわしく生きているのかという問いかけになる。パウロの趣旨がもしその通りであれば、これは権威者に対する批判、裁きの言葉となるはずだ。

 もしあなたたちの命令に権威があるとすればその権威にはとてつもない重みと責任があると知るべきだ。権威は神の定めによるものであり、あなたたちが行使している権威は神聖なもの、神に由来する力だ。それを自覚した者たちによって正しく行使されれば、権威というものは神の意思を表しうるすばらしいものとなるに違いない。しかしそのことに無自覚なものたちは神の権威を冒涜することになる。権威者はその責任を自覚せよと。

 続いて、権威者には従えという指示があり、6節には税金だって本来意味があるのだという内容まで出てくるし、正しい権威、責任ある立場の人々に一目置くのは当然だと続く。「権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです」。これは、私に言わせれば完全ないやみでありあてつけだ。パウロが権威ある人々に向けて投げつけた裁きの言葉だ。権威あるものが自ら誇ろうとして語るのではなく、権威、権力に服従させられる立場の者たちがこのように語るのだ。権威者は神に仕えるものでそれに励むべきだ。しかしあなたたち権威者は本当にそうなのか?とパウロは問いかけている。あなたたちは本当に神に仕えているのか、そのために励んでいるのか、考えて欲しい、とパウロは問いかけているのではないか。

 そして最後に、「キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとして耐えている。」の部分について。「耐えてい」ただけで軍国主義に対して抵抗しなかったという歴史に対する反省は、戦後のキリスト教徒の間でかなり共有されたものとなっているのではないでしょうか。だからこそ、例えば以下のようなカトリック中央協議会からの声明文が出されたりもするのだろうと思います。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/051018.htm
「首相の靖国参拝に抗議する声明」より引用 
 かつて軍国主義政権の圧力のもとで、当時のカトリック教会の指導者は靖国神社をはじめとする神社参拝を心ならずも『儀礼』 として容認してしまいました。このことは過去の出来事として葬り去ることはできません。なぜなら、今まさに同じ危機が目前に迫っているからです。すなわち、憲法改正論議のなかで、政教分離の原則を緩和し、靖国神社参拝を『儀礼』として容認しようという動きが出てきているからです。日本の政教分離憲法第20条3項)は、天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争にまい進したという歴史の反省から生まれた原則なのです。だからこそ、日本国民であるわたしたちにとって、この政教分離の原則を守り続けることが、同じ轍をふまない覚悟を明らかにすることになるのです。

 勿論同じキリスト教徒であっても、曽野綾子氏のような考え方の持ち主もいらっしゃいますので、全てのキリスト教徒がこのような反省を共有しているとも言えないでしょう。ただいずれにしても、「キリスト教徒は辛い世であればそれはそういうものとして耐えている。」というようなおっしゃり方をされることは、「耐えている」だけだった過去を反省しているキリスト教徒の存在を無視してしまうことになるだろうと思います。

デビューボ

 http://d.hatena.ne.jp/n-shikata/20060604にて、「デビューボ」という不思議な単語を目にし、はてなキーワード化されているとのことなので、そちらを覗いてみました(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%c7%a5%d3%a5%e5%a1%bc%a5%dc)。すると、これは「ボーヴォワール」のことなのだそうで、一体なんでまたと思い、参考URL:http://d.hatena.ne.jp/macska/20060126/p1をたどってみますと……うへえ、これはまたトンデモな話ですねえ。この「笑撃」度は、「jender」以上でしたよ。

百人斬り訴訟

 以前、drmccoyさんのブログの、以下の記事のコメント欄に書き込ませていただいたことがあります。


http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050824/p3
「百人斬りというウソ」


 しかし、現在のコメント欄は以下のようになっています。

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050824/p3#c

喜多龍之介 『マッコイ博士、こんにちは。

このニュース、私もガックリ…それこそ首を落とされたような落胆で…。

現在小賢しいけれども「典型的」な白人とフォーラムで戦っておりますが、こういう下らん「だって新聞がそういってたもん。棄却」みたいな事実が積み重なって
「だってお前等、残虐非道の極みをつくしたろう」
などと平気で言われてしまうわけです。

………もう、かなりトサカです……。』 (2005/08/25 13:22)
# nebuo 『マッコイさん100人切っても刃こぼれなんかしません。なぜなら彼らはスターウォーズのライトサーベルを使用していたからです。もちろんフォースが使えるので簡単に人を殺せるのは映画で証明されています。なんてうそとわざわざ言うのも恥ずかしいぐらいのことですが、朝日新聞の投稿欄にでも載ったり、コキントウ様がおっしゃったら肯定派人はすぐに信じちゃいそうで恐いです。これこそまったく非論理的な世界といってよいのでしょう。忘れてもらっては困ります。百人切りが会ったとされる時期に彼らはまだ戦闘中だったのです。しかも一人は副官で一人は砲兵小隊の小隊長です。仕事を忘れて人切り三昧では中国でなく日本の軍事裁判で死刑にされていたでしょう。いくら中国様のおっしゃることでも想像や可能性だけで事実だと強弁するのは困ったものですね。彼らにかかれば軍隊を使わないで世界征服することも可能なのでしょう。こんな人たちがきっと太平洋戦争を始めたんでしょうね。勝てると思って。しかしうそつき勝一にはいつか天罰が落ちて欲しいものです。』 (2005/08/26 09:43)

# drmccoy 『nebuoさん、面白いコメントありがとうございます。議論する上でもユーモアというのはやっぱり必要ですね。そういう意味でも参考になります。中国に情報戦術はとてもたくみだと思いますね。撫順戦犯管理所での洗脳など、的を洗脳してプロパガンダに利用するなど日本人には想像もつかない発想ですしね。』 (2005/08/26 11:36)

# hide 『帝国陸軍軍刀は、兵器廠で作成される、大量生産の『昭和刀』という、車の板バネ状の鋼材を切断して、機械打ちし、油焼きされたものが多く、現代では、美術品としての価値は全くありません。よって、所持許可も下りません。
これらはほとんど、召集か下士官用に支給されておりました。おおむね、将校は、日本刀を軍刀拵えし、所持しており、両者、耐久性はありません。
刀というものは、人を切った場合には脂がつき、2〜3人切ると刃こぼれとともに、脂で切れなくなりますし、刀身は曲がり、鞘に納まらなくなります。(三島由紀夫介錯した刀が備前長船という名刀でしたが、刀身が曲がりS字型となってしまったのは有名な話です。)
どうやっても、100人は切れません。私も刀を数本所持しておりますが、紙を数回切っただけで(重ね切)切れ味が落ちますから。
なにぶん、当時の軍隊には、軍刀専門の『研ぎ師』がいました。南京虐殺を行ったという中国の主張のとうりであれば、彼らは休まずに研ぎ続けたのでしょうね。』 (2005/08/26 17:26)

# drmccoy 『>hideさん書き込みありがとうございます。斬れが悪いだけでなく耐久性が無いとは知りませんでした。
私も三島由紀夫介錯の時のイメージがあったので、刀で100人斬るのは絶対無理と思っていました。
刀で大量虐殺なんてどだい無理な話なんですよね、やっぱり。こういう事を冷静に議論できなくさせる下地を作ったのは朝日新聞などでしょうね。軍隊経験者で事情を知っている人らも、言い訳するのはみっともないという武士のような気持ちと、新聞に書いてある事を否定しても誰も信じてくれないし逆に悪人扱いされるから言うに言えなかったという事もあったと思います。』 (2005/08/26 17:34)

# 武悪堂 『百人斬りに関しては東京日々がもちかけたやらせ企画だったのではないでしょうか。両少尉も有名人になれるのでそれに乗ってしまった。いまでも昔でもマスコミのやらせ体質は変わってないですね。それにいまだに引っかかる人の見る目って可哀想だなと思いますね。
百人斬りの証拠についても後出しジャンケンのように関係ない人の証言や据え物斬りだったとか根拠が薄い珍証言によって複雑化して塗り固めようとしています。
要するに両少尉は新聞記事だけで死罪にされているのだから、サヨクの人も新聞記事だけで百人斬りを説明してほしいものです。』 (2005/08/28 13:42)

# drmccoy 『武悪堂さんコメントありがとうございます。そのような見解だと納得もゆきますね。基本的にすべて南京大虐殺をもっともらしく補完するために、まつりあげられた話であるように私は想像しています。』 (2005/08/28 21:26)

# 武悪堂 『南京裁判の判決文の判決理由をどう見ても、有罪になった直接的な証拠は東京日日新聞の記事としか思えないですね。
支那政府は新聞記事の都合の良いところだけを利用し、両少尉を陥れた無茶苦茶な裁判です。』 (2005/08/29 21:53)

# 野良猫 『 この問題は「百人斬り」の真偽や定義より、「BC級戦犯」がどのように裁かれたかという1つのケースとして捉えると解りやすくなります。
 東京裁判も含め、戦犯裁判は戦勝国側の復讐という意図が含まれています。本間将軍や山下大将の裁判は、取材していた米国人ジャーナリストからも批判が多かった。
 基本的に、勝った側の国が負けた側の要人や将兵を処断するのは、日本で言えば戦国時代の概念です。つまり、近代国家を自称するならそんな行為をあからさまには出来ない。そこで「裁判」という形式をとった訳です。
 まだ法律に則ったフリをした米英などと違い、文字通り「軍閥」による「戦国時代」だった中国にとって、戦勝の記念行事としての敵国の軍人を処断するのは、むしろ当然のこと。
 国民党・共産党ともに「我らこそ日本を打倒した正統政権」と主張したかったがゆえに、日本人は生け贄とさせられたんです。

 罪の真偽よりも、政治的に「そうである」ことが求められていた。そこで南京攻略に関わった責任者として谷師団長や松井大将、「証拠」の新聞まである向井氏らが一般兵の代表として処刑されたのです。

 蒋介石自身、そうした性格の裁判である事を認めており、嘆願に訪れた旧知の日本人にそうした主旨のコメントを残しています(「南京事件48人の証言」にて)。

 少しイヤな例え方をしますと、「とにかく(百人でなくても)虐殺はあった・裁判の主旨そのものは正しかったはずだ」と、精神的に「塹壕」や「防御陣地」の類に籠城している人達に付き合って、正面から「攻城戦」をやる必要はありません(どうしてもやりたい人は別ですが)。
 
 私たちは知識を得て、現実にどう対応していくかが大事なのですから、ある種の「思いこみたい人達」は放っておいた方がいいかと思います。彼らの「陣地」は飛行機で飛び越えてしまえばいいのですから……。』 (2005/09/12 07:23)

 元のコメント欄での、私の投稿文とそれに対する応答は、以下のようなものでした。なお、これは私がコメント欄に投稿する前の下書き用として記録していたものなので、私の投稿文に関しては、下書きなしに書いた最初の3つより後のものには、投稿日時が記録されておりません。また、私の投稿と関係のない部分については、記録していませんでした。


# jimusiosaka 『「百人斬り」で処刑された二人の将校は、「捕虜と非戦闘員の殺害容疑」によって南京軍事法廷で裁かれ、処刑されたのです。二人が白兵戦で百人も斬ったなどと主張している人はおりませんし、勿論本多勝一氏もそのような主張はしていません。』 (2005/08/24 22:13)


# drmccoy 『兵士であろうが民間人であろうが、100人も斬るのは物理的に不可能であると言っています。民間人だからと言ってだまって無抵抗に100人の人間が次々に斬られるとは思えませんよ。数人斬れば刀はもう刃こぼれして役立たずになります。そうなれば余程か弱い女子供でないかぎり、棒で抵抗するとか、数人で取り押さえるとか、何らかの抵抗は十分可能だと思います。』 (2005/08/24 22:32)


# jimusiosaka 『御返事を有難うございます。
>民間人だからと言ってだまって無抵抗に100人の人間が次々に斬られるとは思えませんよ。数人斬れば刀はもう刃こぼれして役立たずになります。 
 「百人斬り」競争は約2週間にわたって続きましたから、単純に計算すれば、1日あたりは10人以下ということになります。刃こぼれしたのなら、刀を交換すれば良いことです。それから、「捕虜と非戦闘員の殺害」というのは、勿論「捕らえた兵士と民間人」ということです。』 (2005/08/24 23:31)


# drmccoy 『刀を交換すれば良いと簡単におっしゃいますが、貴重な兵器を使ってどうしてそんなムダな事するのか、規律の厳しかったと言われる軍隊の中でそのような浪費が許されたのかも疑問ですね。南京大虐殺もそうなんですが、動機がわかりませんよね。これから統治しようというところで民間人を次々に虐殺して、統治しにくくするだけだと思うんですが。でも、虐殺の後、何故か南京の人口は増えているんでしたよね。謎だらけです。』 (2005/08/24 23:41)


# jimusiosaka 『御返事を有難うございます。
 「100人の人間が次々に斬られる」という状況ではなかった、ということは納得していただけたのでしょうか?
 それから、虐殺後に人口が増加している、という俗説については、以下のサイトの記事がわかりやすいと思います。
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou2.html』 (2005/08/25 00:07)


# drmccoy 『>100人の人間が次々に斬られる
さすがに100人を順番に一度に斬ってゆくとまでは思ってませんでしたが、それならそれで上のような疑問もわきます。
それから元になった記事には「最後には1人を鉄兜もろとも唐竹割りした」などと書いてあるので、そもそもこの記事を証拠として裁判をしたというのも無茶な話だったと思いますね。

ご紹介のサイトですが、そちらを見ても増えたと言える根拠はそれなりにあるように思いました。ただ、人口の見積もりが推定であるので、増えた言うのは推定だという話で、もちろん厳密な数字ではないのはわかっています。仮に増えてないにしても、人口が激減してないのは間違いなさそうですね。いずれにしろ大虐殺があったとする場合の人数ともつじつまが合わないのは確かだと思いますが。』 (2005/08/25 08:46)


# 喜多龍之介 『マッコイ博士、こんにちは。

このニュース、私もガックリ…それこそ首を落とされたような落胆で…。

現在小賢しいけれども「典型的」な白人とフォーラムで戦っておりますが、こういう下らん「だって新聞がそういってたもん。棄却」みたいな事実が積み重なって
「だってお前等、残虐非道の極みをつくしたろう」
などと平気で言われてしまうわけです。

………もう、かなりトサカです……。』 (2005/08/25 13:22)


# drmccoy 『どうもこんにちは。
そうですねー、東京裁判からはじまったプロパガンダがすっかり染みついていますから。中国は撫順戦犯管理所みたいのを作って、日本兵を逆に洗脳するという巧妙さでずっとやってきましたから、これらをひっくりかえしてもとに戻すのはなみたいていではないですね。いままでの日本政府や外務省のだらしなさのツケもたまりにたまっていますから。』 (2005/08/25 13:25)
jimusiosaka 『御返事を有難うございます。
>それから元になった記事には「最後には1人を鉄兜もろとも唐竹割りした」などと書いてあるので、そもそもこの記事を証拠として裁判をしたというのも無茶な話だったと思いますね。

 「東京日日新聞の記事を根拠に死刑を宣告され」という産経新聞の表現は、誤解を招きやすいものだと思います。南京軍事法廷は、記事の内容をそのまま事実と認定して有罪判決を下したのではありません。最初に述べましたように、「捕虜と民間人の殺害容疑」で有罪とされたのです。つまり、記事では白兵戦で百人斬ったと書かれているが、その実態は「捕虜と民間人の殺害」によるものだったと見なされた、ということなのです。だから、処刑された二人のうちの一人はその遺書の中で「戦闘行為であります。犯罪ではありません。」と述べているわけです。

>ご紹介のサイトですが、そちらを見ても増えたと言える根拠はそれなりにあるように思いました。〜いずれにしろ大虐殺があったとする場合の人数ともつじつまが合わないのは確かだと思いますが。

 サイトの記事にもありましたように、「この「人口数」は、概ね、「国際委員会」の管理下にあった「安全区」の人口であり、「南京市」全体の人口ではない。」ということですから、drmccoyさんが「大虐殺があったとする場合の人数ともつじつまが合わない」とおっしゃって虐殺事件全体に関連付けられるのには首を傾げてしまいます。』


toorisugari 『そもそもあんなペラペラの軍刀で100人も斬り殺せるはずないんだが
貴重な兵器を使ってどうしてそんなムダな事するのか、規律の厳しかったと言われる軍隊の中でそのような浪費が許されたのかも
 上記のご発言で事実についてやや曖昧な点があるように思われますので念のために確認します。その1。当時の帝国陸軍の将校用軍刀はいわゆる「昭和刀」と称せられる日本刀形式のもので、明治期の騎兵の指揮刀に見られたような、或いは海軍士官用の長剣の如き西洋式のいわゆる「サーベル」ではありません。本件の二人が日本刀形式の軍刀を持っていたことは問題となっている『朝日新聞』の肖像写真からも明らかです。その2。将校の装備、被服や軍刀等は私物であり、自弁です。下士官兵のように官給品ではありません。ついでにいいますと、部内では軍刀は装具の一種であり、兵器とは扱われていませんでした』 (2005/08/25 21:56)


drmccoy 『>jimusiosakaさん
安全区の人口増加だって、南京全体の人口をそれなりに反映していると思いますよ。そもそも安全区外でも虐殺が連日行われていたなら安全区内にも人は入ってこられないでしょう。

>toorisugari さん
ん?写真に写っているのは日本刀形式のものですかね?そうは見えなかったのですが、私の無知のせいでしょうか。おっしゃる通りなら私の誤解でした。失礼しました。いずれにしろ、どんなに名刀でも、余程の名人でも数人斬ればもう刃はボロボロですよ。私物ならそんな良い刀を何丁も持っていたはずもないでしょうから、なおさら100人斬るのは無理ですよね。』 (2005/08/25 22:02)


drmccoy 『>jimusiosakaさん
>「捕虜と民間人の殺害容疑」で有罪とされたのです。つまり、記事では白兵戦で百人斬ったと書かれているが、その実態は「捕虜と民間人の殺害」によるものだったと見なされた
私はこれを決めた中国での戦犯裁判がでたらめだと思っているのですが、正直言うと、具体的に裁判の内容まで知りません。結局この裁判でもまともな証拠は上の新聞記事だけであり、あとはいいかげんな裁判の内容で、民間人まで虐殺したことにされてしまった(目的は南京大虐殺の信憑性を補強ためなど)のだと思っているのですが、この裁判では民間人を虐殺したという証拠は提示されているんでしょうか。本人が言うように、戦闘で兵士(または便衣兵も)を何人か殺しただけなのではないですか?

産経の記事も、
元将校二人は戦後、中国・南京の軍事法廷で無実を訴えたが、東京日日新聞の記事を根拠に死刑を宣告され、処刑された。
と書いています。具体的な証拠はこの新聞記事しかないのに、裁判では民間人虐殺の罪を着せられたと見るのが妥当ではないでしょうか。』 (2005/08/25 22:25)


toorisugari 『コメントありがとうございます。にもかかわらず先ずお詫びと訂正を致さねばなりません。当該記事は『毎日新聞』のもので『朝日新聞』ではありませんでした。申し訳ありません。なお、軍刀の形式については柄の部分と鞘が識別点になります。軍刀の耐久性についてはあくまで一般論ですが、現在の美術的価値からすると昭和刀はつくりが粗雑で骨董的評価は非常に低いのですが、材質としては高性能のものを使っていたとされています。つまり、軍刀は刀鍛冶が一本一本鍛えるいわゆる「名刀」のような作られ方をされた「日本刀」ではなく、工場で大量生産された「日本刀形式の鋼の刃物」であるという点は考慮すべきだと考えます。』 (2005/08/25 22:31)

drmccoy 『>toorisugariさん
訂正ありがとうございます。要するに、私のイメージしている日本刀よりはずっと耐久性があるという事ですね。たしかに名刀はヘタに扱うとすぐ曲がったりしてあっさりダメになりますから、それとは違ってしっかりしたものだったのは知りませんでしたが、でもだとしたら、ずいぶんナマクラだったのではありませんか。私は釣った魚を捌くことが多いのでよくわかるのですが、斬れない刃物というのはまるで使い物になりませんよ。よく斬れるものでも余程手入れを気を付けなけらばすぐだめになりますし。』


jimusiosaka『drmccoyさん、御返事を有難うございます。レスが遅くなり、失礼しました。
>私はこれを決めた中国での戦犯裁判がでたらめだと思っているのですが、正直言うと、具体的に裁判の内容まで知りません。〜本人が言うように、戦闘で兵士(または便衣兵も)を何人か殺しただけなのではないですか?

 「百人斬り」問題を混乱させている原因として、「戦犯裁判の審理が正当なものであったかどうか」ということと、「歴史的事実として「百人斬り」がどういうものだったのか」ということとが混同されやすい、ということが挙げられると思います。
 まず「戦犯裁判の審理の正当性」ですが、これは不当であった可能性が高いと言うべきでしょう。裁判当時、「捕虜や民間人の殺害」を示す直接的な証拠がどれだけあったかは甚だ疑問だからです。ただ、南京軍事法廷については、判決文は公開されていますが、詳細な裁判記録は未公開のため、詳しいことはわかりません。
 しかし、「歴史的事実としての「百人斬り」」については、これが捕虜や民間人の殺害だったであろうことは、現在ではほぼ明らかになったと言ってよいと思います(二人の将校については、以下NとMのイニシャルで書きます)。N少尉が帰国後、故郷の小学校で行われた講演会で、投降兵を斬っていったと述べているとの証言があること。N・M両少尉と同じ部隊にいた人物が、二人が捕らえた農民を斬首したことを書き記していること。そして、N少尉が友人への手紙で「百人斬り競争のようなスポーツ的なことができた」「南京入城までに百五人斬った」(現代仮名遣いに変えています)と述べ、それが当時の新聞に紹介されていること。こういったことから考えれば、二人の将校が何らかの殺人競争を行い、その実態が捕虜や民間人の殺害だったであろうことが推定できると言えるでしょう。
 なお上記に関する史料については、http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/index.htmが読みやすいと思います。
 
 また、今回の「百人斬り」訴訟において「東京日日新聞」記事に関するものについては、「戦犯裁判の審理の正当性」とも「歴史的事実としての「百人斬り」」とも直接には関係ありません。
東京日日新聞」記事は、浅海記者が二人の将校から「百人斬り」競争をしているという話を聞き、その聞いた話を記事にした、というものです。この記事について今回の訴訟の原告は、「百人斬り」の話を聞いたということ自体を浅海記者による捏造であると主張して名誉毀損を訴えたのです。つまり、「百人斬り」があったかどうか(「百人斬り」が「白兵戦によるもの」であったか「捕虜や民間人の殺害」であったかにかかわりなく)ということが問題になっているのではないのです。
 しかし、原告側は捏造であるとの証明ができませんでした。判決にある「記事に虚偽、誇張が含まれている可能性が全くないとはいえないが、新聞記者の創作とまで認めるのは困難」というのは、「浅海記者が二人の将校から聞いた話を誇張したり、二人が言っていないことを書いたりした可能性が全くないとは言えないが、二人の将校から「百人斬り」競争をしているという話を聞いて記事を書いたということ自体が作り話だとは考えにくい」ということです。
また、産経新聞の記事では「東京日日新聞の記事に載った将校二人の写真を撮った元毎日新聞カメラマンも「戦意高揚のための記事で、あり得ない話だ」と証言している。」とありますが、このカメラマンが「あり得ない話だ」と言ったのは「白兵戦で百人も斬るということはあり得ないと思った」ということであり、二人の将校が「百人斬り」競争をしていると述べていたことはこのカメラマンが二人から直接聞いており、そのことはカメラマン自身が裁判で証言しています。

>そもそも安全区外でも虐殺が連日行われていたなら安全区内にも人は入ってこられないでしょう。

 この部分は、意味がよくわかりません。「安全区」が難民の避難区になっていたことは明らかだと思いますし、なぜ「安全区内にも人は入ってこられない」のでしょうか?

 なお、二人の将校が使用した日本刀についてですが、「東京日日新聞」の記事によれば、M少尉は「関の孫六」、N少尉は「無銘ながら先祖伝来の宝刀」となっています。また日本刀一般に関しては、以下のサイトの記事が興味深いです。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/osaru/


nebuo 『不思議としか思えないjimushiosakaさんの話。戦闘行為として100人切ったのではないということは一致しているわけですね。そうであれば記事自体に信憑性が薄いと考えるのが普通ではないでしょうか。証言を最大限信用しても、戦闘中に100人以上殺したという話と民間人を殺したことがあるということしか出てきません。2つの信憑性にかけそうな証言の都合の良い部分だけでつなぎ合わせて真実だと言い切ってしまう根性には恐れ入ります。これで死刑にできるのであれば居酒屋あたりで声を拾ったら簡単に何百人も死刑にできそうですね。
 われわれは日常から簡単にうそをつくのに他人(特に大陸、半島の人)の話すことをあまりに信じすぎるような気がします。まあ共産主義者がうそつきなのは歴史が実証してくれましたけれど。』 (2005/08/28 05:36)


jimusiosaka『nebuoさん、レスを有難うございます。
>戦闘行為として100人切ったのではないということは一致しているわけですね。そうであれば記事自体に信憑性が薄いと考えるのが普通ではないでしょうか。
 
 記事は、二人の将校から聞いた話を書いたものということになっています。そして、二人が「百人斬り」競争をしているということを、彼ら自身の口から聞いた人間が複数いるわけです。だとすれば、「二人が「百人斬り」競争をしているという話を聞いた」という記事自体が記者の創作であると考えることは難しいだろうと思います。二人の将校自身が、「自分たちが「百人斬り」競争をしている」と言っていたことは、ほぼ確実なのですから。

>2つの信憑性にかけそうな証言の都合の良い部分だけでつなぎ合わせて真実だと言い切ってしまう根性には恐れ入ります。これで死刑にできるのであれば居酒屋あたりで声を拾ったら簡単に何百人も死刑にできそうですね。

 歴史的事実として認められるかどうかということと、裁判で有罪とされ得るかどうかということは、別のことです。裁判については、私は「戦犯裁判は不当であった可能性が高い」と述べております。

>われわれは日常から簡単にうそをつくのに他人(特に大陸、半島の人)の話すことをあまりに信じすぎるような気がします。

 私が挙げた証言は、いずれも日本人によるものです。』


drmccoy 『>jimusiosakaさん
たくさん調べていただいてありがとうございます。というか、本来なら私が調べなければならないのに恐縮です。

 まず本人らが100人斬ったと言っているとのことですが、これはどう考えても証拠にはならないでしょう。ようするにたくさんの敵を倒したということを自慢したいために誇張してウソを言っている可能性が高いと思います。100人もの虐殺をしたとまで言うなら絶対に冤罪はゆるされません。「歴史的事実」とまで断言するなら、なおさらです。ウソの可能性のある証言だけでは不十分で、それを裏付ける証拠が必要ですよ。農民を斬っているのを見たというメモにしても何人の農民を斬ったのかわかりませんし、便衣兵だと思って斬ったら農民だったとかあり得るでしょう。

 100人虐殺した方法が銃撃だと言うなら私もこれらの証言が本当である可能性を信じますが、刀で斬ったというから信じられないのです。「無銘ながら先祖伝来の宝刀」であっても、上で色々言っているように1本の刃物で100人斬るのは物理的に不可能ですよ。刀でどれくらいものが斬れるか証明すれば、これは上の「人的証拠」を覆すのに十分だと思いますが。誰かやってみせればはっきりするでしょうね。100人斬ったというなら、それくらいの耐久性がある事を実験して証明する必要があるでしょう。

 以上からjimusiosakaさんに教えていただいた「証拠」からでも、せいぜい「農民を殺した可能性がある」というくらいで、「100人斬り」ことが歴史的事実とまでするのは無理があると思いますね。

南京事件については私も無知な部分があるので、もうすこし調べてみたいと思います。』 (2005/08/28 10:27)

武悪堂 『百人斬りに関しては東京日々がもちかけたやらせ企画だったのではないでしょうか。両少尉も有名人になれるのでそれに乗ってしまった。いまでも昔でもマスコミのやらせ体質は変わってないですね。それにいまだに引っかかる人の見る目って可哀想だなと思いますね。
 百人斬りの証拠についても後出しジャンケンのように関係ない人の証言や据え物斬りだったとか根拠が薄い珍証言によって複雑化して塗り固めようとしています。
 要するに両少尉は新聞記事だけで死罪にされているのだから、サヨクの人も新聞記事だけで百人斬りを説明してほしいものです。』 (2005/08/28 13:42)


drmccoy 『武悪堂さんコメントありがとうございます。そのような見解だと納得もゆきますね。基本的にすべて南京大虐殺をもっともらしく補完するために、まつりあげられた話であるように私は想像しています。』 (2005/08/28 21:26)


jimusiosaka『drmccoyさん、御返事を有難うございます。
>まず本人らが100人斬ったと言っているとのことですが、これはどう考えても証拠にはならないでしょう。ようするにたくさんの敵を倒したということを自慢したいために誇張してウソを言っている可能性が高いと思います。

 ここは、ちょっと誤解があるように思われます。私が「本人らが100人斬ったと言っている」と述べたのは、今回の「百人斬り」訴訟に関してです。繰り返しになりますが、「百人斬り」訴訟において原告は、記者が「百人斬り」の話を二人の将校から聞いたということ自体を捏造だと主張していましたが、二人の将校自身が「百人斬り」競争をしていると言っているのを直接聞いた人間が複数いたわけですから、記者が「百人斬り」競争の話を二人から聞いて記事を書いたということ自体を否定することは難しい、ということです。
 だから、「本人らが100人斬ったと言っている」ということが、「彼らが100人を虐殺した証拠だ」と言っているわけではありません。 

>100人もの虐殺をしたとまで言うなら絶対に冤罪はゆるされません。「歴史的事実」とまで断言するなら、なおさらです。〜

 drmccoyさんは100人という人数にこだわっておられるようですが、私が「歴史的事実」として推定できることとして述べたのは、「二人の将校が何らかの殺人競争を行い、その実態が捕虜や民間人の殺害だったであろう」ということです。「100人もの虐殺をしたとまで」は述べておりません。
 そして、誤解されている方が多いように思われるのですが、今回の「百人斬り」訴訟の被告となった本多勝一氏も、二人の将校が100人もの人間を虐殺したなどとは言っていないのです。今回の訴訟で原告による訴えの対象となった『南京大虐殺否定論 13のウソ』(南京事件調査研究会編著、柏書房、1999年)所収の、本多勝一氏によって書かれた第6章から、結論部分を以下に引用します。

「結論として、次のようなことが言える。すなわち、二少尉による据えもの斬りは確かであろう。ただしそれが100人に達したかどうかは誰も証明することができまい。だが、否定派がいう完全な「創作」とか「斬った中国人はゼロ」とかは、ありえないだろう。」(114〜115ページ)

 今回の「百人斬り」訴訟では、原告側はこのような記述をしている本多勝一氏を名誉毀損で訴えたわけですが、これはやはり無理があったと思います。』


drmccoy 『じゃあ、結論としては、数人の民間人が殺される程度のごくありふれた戦争犯罪はあったとしても、「百人斬り」は結局なかった可能性が高いという事ですね。』 (2005/08/29 11:24)


jimusiosaka『drmccoyさん、御返事を有難うございます。
>数人の民間人が殺される程度のごくありふれた戦争犯罪はあったとしても

 証言などから見る限り、「数人の民間人が殺される程度」とは考えにくいと思います。

>「百人斬り」は結局なかった可能性が高いという事ですね。
 
 「百人斬り」という言葉を、単に「百人の人間を斬ったこと」という意味で使っておられるのでしたら、最初の投稿文で述べましたように、そんなことがあったと断言している人はおりません。「百人斬り」競争と呼ばれたものの実態が「捕虜と民間人の殺害」であったと推定され、そのような「百人斬り」競争はあったであろうと考えられる、ということです。』


drmccoy 『上の証言などから見る限り、「数人の民間人が殺される程度」としか考えられないと思います。

 「百人斬り」という言葉は「百人の人間を斬ったこと」または「斬ろうとしたこと」以外の意味はありえません。
 「百人斬り」競争と呼ばれたものの実態が「捕虜と民間人の殺害」であったと推定されるなら、「捕虜と民間人の殺害」としか言いようが無く、「百人斬り」という言葉を使うのは、意図的な印象操作であり、悪意に満ちていると思います。』 (2005/08/29 23:25)


jimusiosaka『drmccoyさん、御返事を有難うございます。
>上の証言などから見る限り、「数人の民間人が殺される程度」としか考えられないと思います。

 上で挙げたURLの史料より引用します。

 N少尉が故郷の小学校で行った講演会を聞いた、志々目氏の証言より
「占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片っぱしから斬る……
 百人斬りと評判になったけれども、本当はこうして斬ったものが殆んどだ……」

 両少尉と同じ部隊にいた、望月五三郎氏の手記より
「その行為は、支那人を見つければ、N少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。」(将校の名はイニシャルに変えています)

 「並ばせておいて片っぱしから斬る」「支那人を見つければ、N少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた」といった言葉からすると、「数人の民間人が殺される程度」とは思えないのですが。

>「百人斬り」という言葉を使うのは、意図的な印象操作であり、悪意に満ちていると思います。

 「百人斬り」という言葉自体は、戦争中の新聞報道などによって有名になっていました。そして本多勝一氏は、「百人斬り」として報道されたものの実態は、「(捕虜や民間人の)据えもの斬り」であったろう、と述べているのです。事件自体が「百人斬り」という言葉で知られているのですから、この言葉を使うことが「意図的な印象操作であ」るとは言えないでしょう。


武悪堂さん
>本多擁護派(サヨク?)の方は堂々と推定で人間を死刑にできるという感覚をお持ちなのでしょうな。あな恐ろしやw

 これは私に対するお言葉でしょうか?繰り返し述べておりますように、私は「戦犯裁判は不当であった可能性が高い」と考えております。「戦犯裁判の審理が正当なものであったかどうか」ということと、「歴史的事実として「百人斬り」がどういうものだったのか」ということとは、別のことです。』


drmccoy 『まず証言の信憑性を裏付けるような証拠がありません。記事だけでしょう。それもウソの記事だったと記事を書いた記者が証言しています。
 ジャーナリストは誤解をあたえないように記事を書くべきであり、「百人斬り」という言葉を使う以上、実際に「百人斬り」がなされたというふうに認識するのが普通です。事件自体が「百人斬り」という言葉で知られるようになった発端は日日新聞の記事かもしれませんが、事実でなかった「「百人斬り」という言葉を定着させ、それを補強したのが本多勝一のやったことであり、事実でないものを不正確な表現で定着させるような事をしたのは悪意に満ちた「意図的な印象操作である」ことに間違いありません。ジャーナリストの風上にもおけぬ人物ですね。

 それから、私の記憶ですが、本多勝一氏は、最初は「百人斬り」があったと断定してかいていたのを、本を改訂する際に、こっそり「実際には百人斬りではなく(捕虜や民間人の)据えもの斬りだった」と改訂したのではありませんでしたっけ?ちょっとこれについては今手元に資料がないので、後でまた書きます。』 (2005/08/30 08:42)


武悪堂 『jimusiosaka さま
 南京裁判に関わらず提示された証言などを総合しても、推定の域をでないし、人を裁くには(社会的に、歴史的に)あまりにも軽い根拠だなと思うのです。
 痴漢冤罪というものがあります。痴漢の被害者を装って、証言者と組んで、無関係の人を犯罪人に陥れる。この構造に似ていると思います。被害者と目撃者から犯人だと決め付けられれば、反論しようがありません。これによって冤罪を晴らした人もいますが、人生を狂わされました。
加害者が被害者ツラをしているので、最も性質の悪い犯罪だと思います。証言、回想などというものをそれが事実だ真実だと逆に利用すれば、これほど恐ろしいものはありません。
 志々目証言などは同級生で講演を聞いた人の中に百人斬りの話などは聞いたことがないという証言もあります。それで相殺されるくらいの価値のものでしょう。
 中帰連の人達もなぜ南京裁判でそういう証言をしなかったのですか?支那政府が無理にでも証言をさせれば、堂々と何の問題もなく両者を裁けたのではないでしょうか?
ともかくも南京裁判から何十年も経った後に反論する当事者もいない状況で、偽証罪もない法廷外から出てくる証言や回想などは無責任無価値なものだと思うし、人間として卑劣なやり方じゃないかと思うのです。
 少なくとも、jimusiosaka さまが南京大虐殺記念館にあるあれが、実態ではない歴史歪曲だとおっしゃるならば、撤去するべきだと併せて主張するべきだと思うのですが。』 (2005/08/30 22:25)


drmccoy 『武悪堂さん、コメントありがとうございます。私も同感です。後はおまかせしますので、もしまたjimusiosakaさんから反論があったら、よろしくお願いします(笑)。』 (2005/08/30 23:09)


jimusiosaka『drmccoyさん、お返事を有難うございます。
>まず証言の信憑性を裏付けるような証拠がありません。記事だけでしょう。

 まず、いきなり論点を変えられたのでは困ってしまいます。
私が「証言などから見る限り、「数人の民間人が殺される程度」とは考えにくいと思います。」と述べたことに対して、drmccoyさんは「上の証言などから見る限り、「数人の民間人が殺される程度」としか考えられないと思います。」と述べられました。だから私は、証言から「並ばせておいて片っぱしから斬る」「支那人を見つければ、N少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた」といった言葉を引用して、「数人の民間人が殺される程度」とは思えない、と反論したのです。
 このように、証言から読み取れる内容が何であるかについて論じていたのに、「証言の信憑性を裏付けるような証拠がありません」と述べられて、証言内容がどれくらい信用性のおけるものかということに話題を移されるのは、議論の進め方としては問題がありませんか?
 次に、「証言の信憑性を裏付けるような証拠」とおっしゃられていますが、これは具体的にどのようなものがあり得るとお考えなのでしょうか?

>それもウソの記事だったと記事を書いた記者が証言しています。

 「記事」とおっしゃるのは「東京日日新聞」の記事のことでしょうか?記事を書いた浅海記者が「ウソの記事だったと証言」したというのは初耳です。一体いつのことでしょうか?もしそのような証言をしていたのなら、今回の「百人斬り」訴訟でも、原告側が証拠として提出しているはずだと思うのですが。
 それとも、別の「記事」のことでしょうか?

>ジャーナリストは誤解をあたえないように記事を書くべきであり、「百人斬り」という言葉を使う以上、実際に「百人斬り」がなされたというふうに認識するのが普通です。

 繰り返しますが、二人の将校の行いは「百人斬り」という言葉で既に知られたものだったのです。そして、その「百人斬り」は戦場で敵を斬ったものとして戦争中には報道されていたが、その実態は「捕虜や民間人の殺害」であった、というのが本多勝一氏の著作の内容なのですから、本多氏の書き方が問題であるとは思えません。
 では逆に質問させて頂きたいのですが、本多氏が二人の将校の行いについて言及する際に、どのような書き方をするべきだったとdrmccoyさんはお考えなのでしょうか?

>事件自体が「百人斬り」という言葉で知られるようになった発端は日日新聞の記事かもしれませんが、事実でなかった「「百人斬り」という言葉を定着させ、それを補強したのが本多勝一のやったことであり、事実でないものを不正確な表現で定着させるような事をしたのは悪意に満ちた「意図的な印象操作である」ことに間違いありません。ジャーナリストの風上にもおけぬ人物ですね。

 「事実でなかった「「百人斬り」という言葉を定着させ、それを補強したのが本多勝一のやったこと」とおっしゃいますが、「百人斬り」という言葉がマスコミに頻繁に登場するようになったのは、イザヤ・ベンダサン氏や鈴木明氏などが本多勝一氏を批判するようになってからではなかったでしょうか?本多氏の著作(『中国の旅』や『南京への道』など)において、「百人斬り」競争に関する記述はわずかであり、日本による中国侵略の1エピソードとして扱われているにすぎず、この事件を特に強調しているようには思えませんでしたが。
 drmccoyさんは、「ジャーナリストの風上にもおけぬ人物ですね」と本多勝一氏を非難しておられるからには、勿論「百人斬り」競争について言及された本多氏の著作には一通り目を通されておられることと思いますが、本多氏の著作のどのような部分が「不正確な表現」や「意図的な印象操作」であるとお考えなのでしょうか?例を挙げてお教え願えないでしょうか?
 
>それから、私の記憶ですが、本多勝一氏は、最初は「百人斬り」があったと断定してかいていたのを、本を改訂する際に、こっそり「実際には百人斬りではなく(捕虜や民間人の)据えもの斬りだった」と改訂したのではありませんでしたっけ?ちょっとこれについては今手元に資料がないので、後でまた書きます。

 それは、かなり大変なことだと思いますが、よろしくお願いします。』


jimusiosaka『武悪堂さん、お返事を有難うございます。
>南京裁判に関わらず提示された証言などを総合しても、推定の域をでないし、人を裁くには(社会的に、歴史的に)あまりにも軽い根拠だなと思うのです。

 「南京裁判に関わらず提示された証言」とは何でしょうか?言葉の意味がよくわからないのですが。
 「人を裁くには(社会的に、歴史的に)」という部分も、よく理解できません。「人を裁く」のは「裁判」によるものしかないと思うのですが。勿論「歴史の審判」というような言葉もありますが、これは単なる例えに過ぎません。歴史について叙述する時に、その書き手による何らかの価値判断が含まれることはありますが、これは「裁く」こととは別のことです。
 南京裁判については、繰り返しになりますが、私は「戦犯裁判は不当であった可能性が高い」と述べています。

>志々目証言などは同級生で講演を聞いた人の中に百人斬りの話などは聞いたことがないという証言もあります。それで相殺されるくらいの価値のものでしょう。

 「聞いた」という証言は、「聞いたことがない」という証言によって直ちに相殺されるものなのでしょうか?それぞれの証言に不自然・不合理な点がないかを検討した上で、考えなければならないのではありませんか? 「聞いたことがない」という証言については、私は寡聞にして知らないものですから、それがどのような内容のものだったのか、お教え頂ければ有難いです。

中帰連の人達もなぜ南京裁判でそういう証言をしなかったのですか?支那政府が無理にでも証言をさせれば、堂々と何の問題もなく両者を裁けたのではないでしょうか?

 これは、いくらなんでも滅茶苦茶な話です。南京裁判で二人の将校に対する死刑判決が下されたのは、1947年のことです。一方、「中帰連の人達」というのは撫順戦犯管理所に収容されていた人々のことですが、彼らは1947年当時、旧ソ連に抑留されていました。そして、彼らは1949年に中華人民共和国が成立した後に、旧ソ連から中国に引き渡されたのです。付け加えるなら、彼らが中国に引き渡されたのは、南京裁判を行った国民党政権が台湾に逃れた後のことです。だから、武悪堂さんがおっしゃるようなことは、全く実行不可能なことなのです。
 それに、そもそも南京裁判は国民党政権が行ったものなのですから、共産党政権の戦犯管理所に収容されていた人間を証人として出廷させることなどあり得るはずがないでしょう?どうして、そんな馬鹿馬鹿しいことを思いつかれたのですか?
それから、余計な忠告と思われるかもしれませんが、第二次世界大戦前後の時期について述べる時に「支那政府」という言葉を使われるのは、おやめになった方が良いと思います。「支那政府」という言葉が、国民党政権と共産党政権のどちらを指しているのか、わからなくなる恐れがありますから。

>ともかくも南京裁判から何十年も経った後に反論する当事者もいない状況で、偽証罪もない法廷外から出てくる証言や回想などは無責任無価値なものだと思うし、人間として卑劣なやり方じゃないかと思うのです。

 これも繰り返しになりますが、「裁判による審理」と「歴史の叙述」とは、別のことです。裁判が終わった後に、その裁判で扱われた事件について調査・研究を行った上で、歴史としてその事件を叙述するということは、ごくあたりまえのことです。「偽証罪もない法廷外から出てくる証言や回想などは無責任無価値なものだと思うし」とおっしゃいますが、歴史を叙述する際に取り扱われる史料としての「証言や回想」は、「偽証罪もない法廷外から出てくる」ものがほとんど全てです。

南京大虐殺記念館にあるあれが、実態ではない歴史歪曲だとおっしゃるならば

 「あれ」とは何ですか?また、私が「南京大虐殺記念館にある」という何かを、「実態ではない歴史歪曲」と述べたことがありましたか?』


drmccoy 『論点をずらしたのではなく、そもそもお互い、証言が正しいという前提で私もjimusiosakaさんも話をしていたのがおかしいと気づいたのです。
あてにならない証言をもとに、歴史的事実であったかのような話をしても意味がない。
証言の裏付けとは、複数の証言者が細部にまでわたって一致した事を言っているとか、第三者の証言であるとか、いろいろ考えられるでしょう。記録なら、その記録の正確さ、誰がいつ書いたか、それを本当に証明できるか。

 その他、資料(史料?)にも一次資料とか二次資料とかあって、信憑性の高い順番がつきます。
「まず証言の信憑性を裏付けるような証拠」と書いたのは不正確でしたが、その証言の記録が「一次資料」であると言えるのかどうかを示すことが証言の信憑性を確認する手段になると思います。

 しかし、いずれにしろ百人斬ったのでなければ、百人斬りという表現を使うのはダメですよ。ジャーナリストがそんな事やれば、やっぱり名誉毀損ですよ。』 (2005/09/01 08:38)


jimusiosaka『drmccoyさん、お返事を有難うございます。
>論点をずらしたのではなく、そもそもお互い、証言が正しいという前提で私もjimusiosakaさんも話をしていたのがおかしいと気づいたのです。

 それならば、証言から読み取れる内容に関する議論を一旦切り上げた上で、証言自体の信用性に関する議論に移って頂かないと、困ってしまいます。

>あてにならない証言をもとに、歴史的事実であったかのような話をしても意味がない。
証言の裏付けとは、複数の証言者が細部にまでわたって一致した事を言っているとか、第三者の証言であるとか、いろいろ考えられるでしょう。記録なら、その記録の正確さ、誰がいつ書いたか、それを本当に証明できるか。

 「あてにならない証言をもとに、歴史的事実であったかのような話をしても意味がない」とおっしゃることには、私も同意します。では、drmccoyさんは、これらの証言のどういう点に問題があるとお考えなのでしょうか?それぞれの証言において、drmccoyさんが問題点とお考えになる箇所を具体的に挙げて頂かないと、議論することはできません。

>その他、資料(史料?)にも一次資料とか二次資料とかあって、信憑性の高い順番がつきます。
「まず証言の信憑性を裏付けるような証拠」と書いたのは不正確でしたが、その証言の記録が「一次資料」であると言えるのかどうかを示すことが証言の信憑性を確認する手段になると思います。

 「一次資料とか二次資料」(「史料」とするのが普通です)とは、「信憑性の高い順番」ではありません。
 例えば、ある歴史上の事件を取り扱う場合、その事件を見聞した人間による日記や手記・手紙、その事件を見聞した人の証言記録などを、「一次史料」と呼びます。そして、その歴史上の事件について叙述した歴史書などを、「二次史料」と呼ぶのです。信憑性の高い・低いは、全く関係ありません。「一次史料」であっても不正確な史料である場合はありますし、「二次史料」の方がより正確である場合もあります。
 なお、「百人斬り」競争の証言について考えてみますと、N少尉の講演を聞いた志々目氏の証言は、当事者が話したことを直接聞いた内容ですので、「一次史料」ということになります。そして、両少尉と同じ部隊にいた望月五三郎氏の手記も、望月氏が直接見聞したことを述べたものなので、「一次史料」ということになります。勿論上記の通り、「一次史料」だからという理由で、必ずしもその信憑性が高いということになるとは限りません。

>しかし、いずれにしろ百人斬ったのでなければ、百人斬りという表現を使うのはダメですよ。ジャーナリストがそんな事やれば、やっぱり名誉毀損ですよ。

 では、このような例え話を考えてみてください。
あくまでも仮定の話ですが、「○○詐欺事件」と呼ばれるものがあり、その犯人が捕まったとします。ところが取調べが進むにつれて、犯人がやっていたことは詐欺ではなく恐喝であったことがわかったとします。このような場合、「○○詐欺事件」の犯人は詐欺ではなく恐喝をしていたのだ、と報道されないでしょうか?このように報道して、犯人がやっていたのは詐欺ではなく恐喝だったのだから詐欺という言葉を使ってはならない、などと批判されるものでしょうか?

 最後に、お答えがなかったので再度お尋ねしますが、「ウソの記事」とおっしゃっていたのは「東京日日新聞」の記事のことだったのでしょうか?』



武悪堂 『jimusiosakaさま
>南京裁判に関わらず提示された証言などを総合しても

 南京裁判の正当不当はともかく、jimusiosakaさまが提示された南京裁判とはかかわりのない志々目証言、望月五三郎証言などを総合して考えても推定の域をでないということです。こんなものを社会的影響力の大きい新聞で報道しても良いのか?

>「人を裁くには(社会的に、歴史的に)」
実際的に南京裁判で不当な死刑になった後、故人はもちろん遺族の方も社会的に日陰の立場に追いやられている。 
数十年後、本多勝一の記事によって、歴史的事実などという既成事実を作り上げられ、故人及び遺族はセカンドレイプを受け社会的に不利益をこうむり人生が狂わされたとのことです。これだけ人生に影響を与えている記事がこんな軽い推論であってよいのか?ということです。

>「聞いたことがない」という証言については、私は寡聞にして知らないものですから、それがどのような内容のものだったのか、お教え頂ければ有難いです。

 以下傍聴された方からの引用文
 また、「志々目と共に野田少尉の講演を聞いたが百人斬りには触れていなかった」とする鹿児島男子師範付属小学校元同級生の証言を完全に無視していること、更にはこちらから本多、志々目氏の証人尋問を請求したのに対して土肥裁判長が「これ以上証人を呼ぶ必要は無い」と言いきったことに対する不審、不公平の疑問が残りました。

 今回の百人斬り訴訟において原告側証人として法廷で証言されたようです。

 中帰連についての発言はカキコの後に気づきましたが、望月五三郎なる人物の略歴が調べても分からなかったので、ちょっと放置してみました。想定内のご指摘ありがとうございました。そこは訂正するとして、国民政府にしても中共にしても百人斬りに関しての扱いは大体一貫しているのですが、なぜ百人斬りを裏付けする証言が支那から出てこなかったのか?中共は忘れていたんですか?中帰連も含めて1985年の望月五三郎なる人物の回想録まで後にも先にも存在しないということには疑問を感じます。

 歴史学の基本は「史料批判」歴史資料の信憑性を検証することにある。事件発生当時、発生場所で当事者が作成したもの、これを「一次史料」という。事件から時間が経過した後に、当時者が作成した回想などが、「第二次史料」そして「第一次史料」「第二次史料」を基に作成したものが、「第三次史料」史料価値があるのは、ここまで。
 作者、作成年代、作成場所が判明しないものは「第四次史料」何のために作られたのかわからないものを「第五次史料」といわれ、史料価値は、ゼロと見なされる。

 難しいことは分かりませんが、歴史史料として認識されるものは、こういう定義らしいのですが、望月五三郎証言などは当事者でもないので第五次史料あたりだと思うのですが。証言内容も具体性を欠きますし。

>これも繰り返しになりますが、「裁判による審理」と「歴史の叙述」とは、別のことです。裁判が終わった後に、その裁判で扱われた事件
>について調査・研究を行った上で、歴史としてその事件を叙述するということは、ごくあたりまえのことです。

>「聞いた」という証言は、「聞いたことがない」という証言によって直ちに相殺されるものなのでしょうか?
>それぞれの証言に不自然・不合理な点がないかを検討した上で、考えなければならないのではありませんか?

 歴史を調査研究されることに関して言われるような手続きを経て歴史として語られることは賛成です。
jimusiosakaさまが歴史的事実として「百人斬り」を証明されるならば、志々目証言、望月五三郎証言などが歴史学者の学術的検証を受けて学術論文またはそれに順ずる著述の一つや二つは存在するのだろうとは思いますが、歴史学会の中で彼らの証言がどこまで研究検証が進められているのかよろしければ教えてください。

南京大虐殺記念館にあるあれが、実態ではない歴史歪曲だとおっしゃるならば

 南京大虐殺記念館にある「百人斬り」に関する展示物のことです。東京日日新聞の拡大写真、両少尉のパネル。jimusiosakaさまがおっしゃる歴史事実とはかけ離れていると思うのですが。』 (2005/09/02 00:39)


drmccoy 『 私は証言内容が具体的にどこがおかしいか、ではなく、証言そのものがどれくらい信用できるのかわからないから、それをもとに議論しても時間の無駄と言っています。具体的にどうおかしいか、それを指摘する以前に、証言の信憑性、資料としての信頼性を問うているわけですから。どこがおかしいか言えといわれれば、またもとの議論に逆戻りでしょう。
 そもそも上の証言をひっぱってきたのはjimusiosakaさんなわけですから、証言をもとに、百人切りのような事があったと言うなら、jimusiosakaさんのほうがそれを証明してくださらなければ議論はむずかしいのではないでしょうか。
 ただし、実は私はそこまで関心はなく、実際に百人斬ったわけではないという事が明らかなだけで充分だと思っているので、私の中ではもう議論は完結しているんですよ。仮に上の証言がすべて正しいとしても、百人斬ったわけではない。ゆえに百人斬りはなかった。それで充分だと思います。ですから、証言の信憑性うんぬんは、ここにレスをつけて下さらなくて結構です。』 (2005/09/02 08:48)



jimusiosaka『武悪堂さん、お返事を有難うございます。
>南京裁判の正当不当はともかく、jimusiosakaさまが提示された南京裁判とはかかわりのない志々目証言、望月五三郎証言などを総合して考えても推定の域をでないということです。
>数十年後、本多勝一の記事によって、歴史的事実などという既成事実を作り上げられ、故人及び遺族はセカンドレイプを受け社会的に不利益をこうむり人生が狂わされたとのことです。これだけ人生に影響を与えている記事がこんな軽い推論であってよいのか?ということです。


 どうも武悪堂さんは、「歴史的事実」というものを誤解されているのではないかと思います。歴史を叙述する時、その書き手の前に、過去の事実に関する全ての情報が揃っているということはあり得ません。常に、現存する史料に基づいて歴史を叙述することにならざるを得ないのです。だから、どんなに確かに見える「歴史的事実」も、新しい史料の発見によって書き換えられることはあり得ます。そういう点では、歴史的事実は常に「推定」であり、「既成事実」である「歴史的事実」などありません。
 そして、現在のところ確認できる史料からすると、「百人斬り」競争の実態は「捕虜や民間人の殺害」であったのだろうということを「歴史的事実」として叙述することは可能でしょう。
 なお、遺族の方々が「セカンドレイプを受け社会的に不利益をこうむり人生が狂わされた」ということはまことにお気の毒で理不尽なことだと思います。しかし、それは何の罪も犯していない遺族の方々に嫌がらせをした人間を批判すべきことでしょう。そして、遺族の方々が「二人は捕虜や民間人の虐殺をしていない」と信じたいお気持ちもまたわからないでもありませんが、こちらは到底認められないことです。


>以下傍聴された方からの引用文
また、「志々目と共に野田少尉の講演を聞いたが百人斬りには触れていなかった」とする鹿児島男子師範付属小学校元同級生の証言


 証言をお教え頂き、有難うございます。ただ、これが証言内容だとすると、いささか疑問を感じます。この証言者は、野田少尉(ここまでN少尉と表記してきましたが、武悪堂さんが名前を出されましたので、私も実名で書かせて頂きます)の講演が行われたことは認めているわけですね。そして、「「百人斬り」には触れていなかった」と証言されているそうですが、証言において「あった」という証言はわかりやすいのですが、「なかった」という証言は取り扱いにくいのです。なせなら、「なかった」という証言は、単に証言者が「憶えていなかった」ということかもしれないからです。ここで当然の疑問が湧いてくるのですが、この証言者は「「百人斬り」には触れていなかった」と言っているそうですけれど、では野田少尉がどのような話をしたと証言しているのでしょうか?まさか、どんな話をしたかは憶えていないが、「「百人斬り」には触れていなかった」ことだけは憶えている、などということはないだろうと思うのですが。


中帰連についての発言はカキコの後に気づきましたが、〜想定内のご指摘ありがとうございました。そこは訂正するとして、


 ホリエモンみたいですね。基本的な歴史背景のご確認を、よろしくお願いします。


>国民政府にしても中共にしても百人斬りに関しての扱いは大体一貫しているのですが、なぜ百人斬りを裏付けする証言が支那から出てこなかったのか?中共は忘れていたんですか?中帰連も含めて1985年の望月五三郎なる人物の回想録まで後にも先にも存在しないということには疑問を感じます。


 当時の状況に対して、想像力を働かせてみて下さい。捕虜の殺害は基本的に皆殺しであり、殺害現場で生き残った中国人は、死んだと思われていた者が後で奇跡的に息を吹き返した、という場合くらいでした。そういう生き残りの中国人に、日本軍の誰が捕虜の殺害を行っていたか明確に証言せよと要求することは、無理な話でしょう。そして民間人の殺害については、望月証言にも示されているように、連行されてきた農民を斬首する、というものだったようですから、殺害された農民の遺族には、家族が日本軍によって連行された後に殺されたということはわかっても、日本軍の誰に殺されたかを特定することなどできるはずはありません。


>事件発生当時、発生場所で当事者が作成したもの、これを「一次史料」という。事件から時間が経過した後に、当時者が作成した回想などが、「第二次史料」そして「第一次史料」「第二次史料」を基に作成したものが、「第三次史料」史料価値があるのは、ここまで。
作者、作成年代、作成場所が判明しないものは「第四次史料」何のために作られたのかわからないものを「第五次史料」といわれ、史料価値は、ゼロと見なされる。

 難しいことは分かりませんが、歴史史料として認識されるものは、こういう定義らしいのですが、望月五三郎証言などは当事者でもないので第五次史料あたりだと思うのですが。証言内容も具体性を欠きますし。


 「歴史史料として認識されるものは、こういう定義らしいのですが」って、こんな奇妙奇天烈な史料の分類法を、一体どこでお知りになったのですか?drmccoyさんへのレスでも述べましたように、一次史料・二次史料とは「信憑性の高い・低い」を示すものではありません。ましてや「第四次史料」だの「第五次史料」だのといった分類は、通常の歴史学研究には存在しません。
 もしも私の言葉を疑われるようでしたら、大学の歴史学科のテキストとして使われている「史学概論」と名のつく本を書店でお探しになって、お読みになるのが良いでしょう。あるいは、最近は大学の研究室がHPを作って講義内容の紹介をしているところも多いですから、「史学概論」という名の講義の内容紹介を読んでみるのも良いかもしれません。
 ともかく、「第四次史料」だの「第五次史料」だのといった言葉は、まともな歴史研究者なら使うことはまずありませんし、もしそんな言葉を使っている研究者がいたら、それは「トンデモ」学者である可能性が非常に高いと言えるでしょう。「一次史料・二次史料」の区別というのは、歴史研究の基本なのですから。
 なお、これもdrmccoyさんへのレスで述べましたが、望月五三郎証言は「百人斬り」競争の現場を直接目撃した人物による証言なので、一次史料と言えます。


>jimusiosakaさまが歴史的事実として「百人斬り」を証明されるならば、志々目証言、望月五三郎証言などが歴史学者の学術的検証を受けて学術論文またはそれに順ずる著述の一つや二つは存在するのだろうとは思いますが、歴史学会の中で彼らの証言がどこまで研究検証が進められているのかよろしければ教えてください。


 私自身は「南京事件」の研究者ではなく、またもともと西洋史を専攻していた者なので、「南京事件」の研究動向について述べることは荷が重いです。とりあえず、洞富雄氏や藤原彰氏などの著作からお読みになってみてはいかがでしょうか。
 ただ、一応私見を述べるなら、例えば志々目証言の場合、志々目氏が野田少尉とは何の利害関係も持たない第三者であること、野田少尉の講演が行われたことは確かであること、野田少尉が語ったとされる内容自体に明らかに不合理と思われるような点がないこと、そしてその内容が当時の日本軍のあり方と矛盾していないことなどから、細かな点で記憶違いなどがあるかもしれないが、野田少尉が語った内容を大筋において正確に伝えたものだろうと見なすことができると思います。


東京日日新聞の拡大写真、両少尉のパネル。jimusiosakaさまがおっしゃる歴史事実とはかけ離れていると思うのですが。

 「両少尉のパネル」については見たことがないので何とも言えませんが、「東京日日新聞の拡大写真」とおっしゃるのは、二人が並んで写っている記念写真のようなもののことですね。二人が並んで写っているだけの写真が、なぜ「jimusiosakaさまがおっしゃる歴史事実とはかけ離れている」ということになるのでしょうか?』



jimusiosaka『drmccoyさん、お返事を有難うございます。
>私は証言内容が具体的にどこがおかしいか、ではなく、証言そのものがどれくらい信用できるのかわからないから、それをもとに議論しても時間の無駄と言っています。具体的にどうおかしいか、それを指摘する以前に、証言の信憑性、資料としての信頼性を問うているわけですから。


 証言の信憑性・信頼性を判断する場合、証言内容自体の検討も重要なことなのです。つまり、語られている内容に不合理な点がないかどうか、当時の時代背景と矛盾するような内容が含まれていないかどうか、といったことを検討して、証言の信憑性・信頼性を判断する材料にするわけです。だから、証言内容に不合理な点や矛盾する点がないかどうか、「これらの証言のどういう点に問題があるとお考えなのでしょうか?」とお尋ねしたのです。
 なお、志々目証言の信憑性・信頼性の判断については、上の武悪堂さんへのレスで述べた通りです。


>仮に上の証言がすべて正しいとしても、百人斬ったわけではない。ゆえに百人斬りはなかった。それで充分だと思います。


 はい、私としても、「百人斬り」競争があったと主張している人々が、白兵戦で百人斬ったというトンデモないことを主張しているのではなく、「捕虜と民間人の殺害」が行われたのだろうと主張していることをご理解いただけたのでしたら、それで結構です。
 ただ、レスがなかったので気になっているのですが、「一次史料・二次史料」の区別についてはご納得頂けたのでしょうか?上の武悪堂さんへのレスでも述べておりますように、これは歴史研究の基本なので、どうかご自分でご確認の上で、納得して頂きたいと思います。
 それから前回もお尋ねしましたが、「ウソの記事」とおっしゃっていたのは「東京日日新聞」の記事のことだったのでしょうか?』


drmccoy 『>>jimusiosakaさん
>「一次史料・二次史料」の区別については・・・
これは参考になりました。ま、いずれにしろ本田勝一は十分に信憑性を問わずに中国への旅を書いたのではないかと思います。ジャーナリストならこのあたりをまともに検証すべきだったとおもうんですが、それを怠ったとしか思えませんね。

>あくまでも仮定の話ですが、「○○詐欺事件」と呼ばれるものがあり、その犯人が捕まったとします。ところが取調べが進むにつれて、犯人がやっていたことは詐欺ではなく恐喝であったことがわかったとします。このような場合、「○○詐欺事件」の犯人は詐欺ではなく恐喝をしていたのだ、と報道されないでしょうか?このように報道して、犯人がやっていたのは詐欺ではなく恐喝だったのだから詐欺という言葉を使ってはならない、などと批判されるものでしょうか?

 批判されるでしょう。というか、恐喝をやっていたと判明した時点で○○恐喝事件と訂正すると思いますが。

>「ウソの記事」とおっしゃっていたのは「東京日日新聞」の記事のこと・・・
ちょっとこのコメント欄が長くなりすぎてどこの事かわからなくなってしまったのですが、たぶんそうだと思います。』 (2005/09/04 22:09)


jimusiosaka『drmccoyさん、お返事を有難うございます。レスが遅くなり、失礼致しました。
>>「一次史料・二次史料」の区別については・・・
これは参考になりました。

 ご理解頂けて、嬉しいです。

>ま、いずれにしろ本田勝一は十分に信憑性を問わずに中国への旅を書いたのではないかと思います。ジャーナリストならこのあたりをまともに検証すべきだったとおもうんですが、それを怠ったとしか思えませんね。

 もともと『中国の旅』自体は、中国人からの聞き取りをそのままの形で記録するというものであり、それらの証言に対する本多氏自身の考えはほとんど示されていません。だから、「十分に信憑性を問わずに」という非難は、あまり意味がないと思います。

>批判されるでしょう。というか、恐喝をやっていたと判明した時点で○○恐喝事件と訂正すると思いますが。

 う〜ん、例えを出したことでかえってわかりにくくなってしまったのでしょうか?
では、『中国の旅』において、「百人斬り」という言葉の使われ方としてdrmccoyさんが問題だとお感じになったのはどのあたりなのでしょうか?お教え頂けると有難いです。

>>「ウソの記事」とおっしゃっていたのは「東京日日新聞」の記事のこと・・・
ちょっとこのコメント欄が長くなりすぎてどこの事かわからなくなってしまったのですが、たぶんそうだと思います。

 8月30日8時42分の部分です。そして、そうだとすると、「東京日日新聞」の記事を書いた浅海記者が、自分の書いた記事を「それもウソの記事だったと〜記者が証言しています」とdrmccoyさんがおっしゃるのには、同意できません。私が知る限り、浅海記者が自分の記事を「ウソだったと証言」したことはないと思うのですが。

 ところで、同じく8月30日8時42分のコメントで、drmccoyさんは「私の記憶ですが、本多勝一氏は、最初は「百人斬り」があったと断定してかいていたのを、本を改訂する際に、こっそり「実際には百人斬りではなく(捕虜や民間人の)据えもの斬りだった」と改訂したのではありませんでしたっけ?」と述べておられましたが、それはこれのことではありませんか?
http://www.senyu-ren.jp/100/004.HTM

 M少尉の遺族の方が、「百人斬り訴訟」の裁判を行っている裁判所に提出した文章より引用。

 「今、「中国の旅」「南京への道」の文庫本では、途中から実名のかわりにイニシヤルになりました。それでも私の周りの人たちや殆どの人々はMが向井をさすことを知っています。その上、文庫本になってから注釈が付け加えられ、父たちが捕虜をスエモノ斬りする残虐競争をしたと、ますます残虐な人間に描かれているのです。」 
 
 この部分のことならば、これははっきりと間違いであると断言できます。私は『中国の旅』の単行本(初版発行年の1972年に出た第3刷です)と文庫本の両方を持っていますが、そのどちらにも注釈はあり、志々目氏の証言が紹介されています。これはちょっと調べればわかることなので、おそらくは故意に嘘をつかれたのではなく、勘違いをされたのだろうと思います。
 ただ、原告支援者には南京事件の研究者を名乗る人もいるのだから、裁判所に提出する書類にこんな間違いがあるのなら、指摘して訂正してあげれば良いのに、とは思います。
 もっとも、遺族を支援する会の代表で、南京事件否定論者の一人でもある阿羅健一氏もまた、次のように述べています。

http://www.senyu-ren.jp/100/002.HTM

「〜朝日新聞本多勝一記者は、その記事を単行本にし、さらに平成十一年、本多勝一氏は「南京大虐殺否定論13のウソ」(柏書房)にも書き、しかも途中からは、ふたりが捕虜の据え物斬り競争をしたと書くようになりました。」

 「南京事件」の研究者を名乗る人がこんな間違いを書くようでは、お話にならないと思います。』


# 野良猫 『 この問題は「百人斬り」の真偽や定義より、「BC級戦犯」がどのように裁かれたかという1つのケースとして捉えると解りやすくなります。
 東京裁判も含め、戦犯裁判は戦勝国側の復讐という意図が含まれています。本間将軍や山下大将の裁判は、取材していた米国人ジャーナリストからも批判が多かった。
 基本的に、勝った側の国が負けた側の要人や将兵を処断するのは、日本で言えば戦国時代の概念です。つまり、近代国家を自称するならそんな行為をあからさまには出来ない。そこで「裁判」という形式をとった訳です。
 まだ法律に則ったフリをした米英などと違い、文字通り「軍閥」による「戦国時代」だった中国にとって、戦勝の記念行事としての敵国の軍人を処断するのは、むしろ当然のこと。
 国民党・共産党ともに「我らこそ日本を打倒した正統政権」と主張したかったがゆえに、日本人は生け贄とさせられたんです。

 罪の真偽よりも、政治的に「そうである」ことが求められていた。そこで南京攻略に関わった責任者として谷師団長や松井大将、「証拠」の新聞まである向井氏らが一般兵の代表として処刑されたのです。

 蒋介石自身、そうした性格の裁判である事を認めており、嘆願に訪れた旧知の日本人にそうした主旨のコメントを残しています(「南京事件48人の証言」にて)。

 少しイヤな例え方をしますと、「とにかく(百人でなくても)虐殺はあった・裁判の主旨そのものは正しかったはずだ」と、精神的に「塹壕」や「防御陣地」の類に籠城している人達に付き合って、正面から「攻城戦」をやる必要はありません(どうしてもやりたい人は別ですが)。
 
 私たちは知識を得て、現実にどう対応していくかが大事なのですから、ある種の「思いこみたい人達」は放っておいた方がいいかと思います。彼らの「陣地」は飛行機で飛び越えてしまえばいいのですから……。』 (2005/09/12 07:23)


 コメント欄のコメントを削除する権限が、ブログ管理者であるdrmccoyさんにあることは、勿論言うまでもありません。ですから、私のコメントが削除されることは、仕方のないことでしょう。しかし、コメントを削除したことには記事中で全く触れず、drmccoyさんのご意見に沿った投稿文だけを残すことによって、コメント欄はまるで最初からdrmccoyさんへの賛同のみが寄せられたかのような状態にしておくというのは、いかがなものでしょうか。しかも、私の投稿文への応答として投稿された他の方々の投稿文を、前後の文脈から切り離して残しておられますね。
 こういうことを、「改竄」と表現するのではないでしょうか。



(9日追記)
http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050824/p3#cのコメント欄に、以下のコメントが追加されました。

bluefox014 『こんにちは。一部のコメント「のみ」削除されたようですが、削除された理由をご教示くださると幸いです。』 (2006/04/09 03:34)

# drmccoy 『ひさしぶりに読み返してみて、ウソや屁理屈ばかりを並べて英霊を侮辱しているからです。そのようなコメントは問答無用で削除するという方針に転換した事もあります。今後とも英霊の名誉をけがすコメントは削除いたします。基準は客観的なものではありません。』 (2006/04/09 09:23)

# littorio 『自称博士様、ま た で す か !』 (2006/04/09 22:10)


drmccoyさんは、コメント削除の理由について、「ひさしぶりに読み返してみて、ウソや屁理屈ばかりを並べて英霊を侮辱しているからです。」とおっしゃっておられますが、私が述べたことに「ウソ」があるとお考えなら、その「ウソ」がどのようなものか、具体的に説明して頂きたいと思います。根拠も示されずに嘘つき呼ばわりされることは、さすがに受け容れがたいことです。
 なお、現在drmccoyさんのブログは私のコメントを拒否しておられるようで、こちらからは書き込めない状態になっておりますので、drmccoyさんが「ウソ」について説明してくださる気がおありなら、こちらのコメント欄に書き込んで下さい。

ロマ書第13章

finalventさんのブログから、以下に転載させて頂きます記事「君が代神経症」について。(10日追記:finalventさんより「全文引用、全文転載はやめてください(許可しません)。」とのコメントを頂戴しましたので、URLのみ掲示させて頂きます)


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060323/1143080755




 「キリスト者はイエス以外なにものをも神としない」というのは、確かに正統教義の三位一体説では「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」は同質のものとされていますけれど、いささか微妙な印象を受けます。
 また、「ローマ皇帝など皇帝への忠誠というのとバッテンするというのは歴史的にもない」とのことですが、だとすると皇帝礼拝を拒否して迫害されたキリスト教徒はどうなるのでしょうか?またローマ帝国滅亡後も、皇帝権力と宗教権力の対立は、聖職叙任権闘争をはじめとして数多く起こっているように思われますが。第一、内村鑑三教育勅語への最敬礼を拒否して職を追われたのですから、これはまさに「皇帝への忠誠とバッテン」した例なのではないでしょうか。
 そして何よりも引っかかったのは、「聖書にも世の秩序に従ってとけみたいのがあるし」と述べられて、ロマ書の第13章を持ち出しておられるところです。ロマ書の第13章といえば、軍国主義時代に神社参拝が強制されるようになった時、それを拒否するキリスト教徒に対して強制を正当化するために持ち出されたものだったと聞いています。そのような歴史的経緯を持ったものを、日の丸・君が代の強制に関する文脈で持ち出されるというのは、歴史に対してあまりにも無頓着ではないでしょうか。あるいは、ご存知の上であえて、なのでしょうか。曽野綾子氏の言説(「諸君」2005年9月号など)あたりなら、確信犯的なものだろうと思われますが。

「genocideの原型」

finalventさんの補足記事からの引用です。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060318/1142654353
そっちの世界でご満悦な人々
 ⇒http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060318#c1142868165
# jimusiosaka 『apesnotmonkeysさん。
>というかそのエントリ、無茶苦茶ですね。さすが山本七平シンパだけのことはある。
 同感です。このエントリが『日本人とユダヤ人』に書かれたgenocideに関する非歴史学的な例え話を援用した記事であろうことは想像できましたが、オリジナルに輪をかけて突飛で支離滅裂な内容に思われました。』
# gachapinfan 『・・・そしてそういった無茶苦茶なエントリに対してまじめに批判すると、《空気読めない瑣末主義者》のレッテルを貼られることにwww』
# jimusiosaka 『やはり、「そういった無茶苦茶なエントリに対してまじめに批判する」人に対して、「《空気読めない瑣末主義者》のレッテルを貼」ることが目的のエントリだったのでしょうかねえ。あまりにもあからさまに「トンデモ」な内容なので、かえってその意図を勘繰ってしまいそうです

 「そっちの世界でご満悦な人々」と言われてしまいました。私としても、「突飛で支離滅裂」「あからさまに「トンデモ」な内容」とまで申し上げた以上、具体的に批判を述べるべきだと思いましたので、随分と遅くなってしまいましたが、以下にfinalventさんのエントリを引用しつつ疑問に感じた点を列挙していくことにします。




http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060319/1142735496
「genocideっていうのは鳥インフルエンザ対策みたいなもの」

 10年くらい前だったか、台湾で口蹄疫病が流行して豚を随分始末したし、私も税関で中華ハムとか取られちゃったし……そんなことはどうでもよい。
 で、鳥インフルエンザもそうだけど、あれって、一羽でもウイルスっていうか黴菌っていうかに感染したら同じ施設のを全部殺してしまうのですよ。そうしないと、さらにひどくなるからここの施設の同類は全部殺せ、というわけです。汚染の概念に近いかもしれない。
 で、これって、家畜とか放牧する民族にとっては、ごくごく当たり前のサバイバルの知恵なんです。
 で、これが人間に適用されるのがgenocide。というか、genocideの原型。現代の国際法上のgenocideの基礎ということではないので誤解無きよう。
 ほいで、この原型的なgenocideだけど、思想とか血とかが、ウイルス・黴菌のようにみなされ、それに同舎というか同類は全部殺せというわけです。
 ある意味憎悪とかじゃないんですよ。そんな情緒的なもんではない。ポイントとしては計画性。この点については現代定義のgenociedeも引き継いでいる。

 finalventさんによれば、「一羽でもウイルスっていうか黴菌っていうかに感染したら同じ施設のを全部殺してしまう」ことは「家畜とか放牧する民族にとっては、ごくごく当たり前のサバイバルの知恵」であり、「これが人間に適用されるのがgenocide。というか、genocideの原型」ということだそうです。そして、「原型的なgenocide」とは、「思想とか血とかが、ウイルス・黴菌のようにみなされ、それに同舎というか同類は全部殺せという」ことであり、その「ポイントとしては計画性」が挙げられ、「情緒的なもんではない」のだそうです。
 さて、genocideという言葉はナチスによるユダヤ人虐殺に対する表現として生まれた造語ですが、finalventさんのおっしゃる「genocideの原型」とは、どのような歴史的背景を持って行われたものだったのでしょうか?ここで非常にもどかしく感じることは、遊牧民のサバイバルの知恵を人間に適用した「genocideの原型」なるものについて、その歴史上の実例をfinalventさんが全く挙げておられない、ということです。もしも実例が挙げられているのなら、それを検討することによって、finalventさんのおっしゃる「genocideの原型」なるものの妥当性を論じることもできるのですが。
 それにしても、「一羽でもウイルスっていうか黴菌っていうかに感染したら同じ施設のを全部殺してしまう」ことは「家畜とか放牧する民族にとっては、ごくごく当たり前のサバイバルの知恵」とのことですが、農耕民でも農作物が伝染病などに感染した場合、田畑の中の伝染病に感染した部分やその恐れがあると思われる部分を焼き払う(=「同じ施設のを全部殺す」)ということはあっただろうと思うのですが、finalventさんはこれを「農耕民にとっては、ごくごく当たり前のサバイバルの知恵」とはお考えにならないのでしょうか?



 で、この原型的なgenenocideだが、家畜とかあまりしない農耕民族にはなじまない発想ですね。ただ、農耕には家畜がつきものなのですっぱりは切れないでしょうけど。(ちなみに、遊牧民にとって富が増えるというのは家畜が殖えるということで、家畜が殖えるっていうことは、せっせとおせっくすということで、そのあたりは情緒というものがない。で、彼ら自身も部族はおせっくすで増えている。血統は問われる。これに対して、農耕民は作物が増えるように、植物がその気になるようにそそらせるてことでおっせっくす見せたりとかその手の神事とかする。やってることは、薄目で見ているとけっこう同じだけど、農耕民は作物収穫が基盤になって人が増える。)

 「原型的なgenocide」は「農耕民族にはなじまない発想」ということで、遊牧民と農耕民とを対比させて論じるということになるはずの部分ですが……さて、どう解釈すれば良いのやら。
 「遊牧民にとって富が増えるというのは家畜が殖えるということ」という部分はわかりますが、「家畜が殖えるっていうことは、せっせとおせっくすということで、そのあたりは情緒というものがない」でおっしゃっている「情緒」という言葉の意味が、どうにもよくわかりません(「genocideの原型」は「情緒的なもんではない」とおっしゃっていたこととつながるのでしょうか?)。
そしてこれに「で、彼ら自身も部族はおせっくすで増えている。血統は問われる。」と続くのですが、この論理展開はさっぱり理解できません。「彼ら自身も部族はおせっくすで増えている」とのことですが、別に遊牧民だけでなく、人間は全て「おせっくすで増えている」ものでしょう。そしてさらに、「血統は問われる。」という一文が続くのですが、前の文とのつながりが全く意味不明です。まさか、「彼ら自身も部族はおせっくすで増えている。」(だから)「血統は問われる。」ではないでしょう?もしそうなら、全ての人間は「おせっくすで増えている」のだから、全ての人間の間で「血統は問われる。」ことになってしまいます。かといって、「彼ら自身も部族はおせっくすで増えている。」(そして)「血統は問われる。」だとすれば、では遊牧民が血統を重視するのは何故なのか?という疑問が当然わいてくることになりますが、その根拠は示されておりませんから、これは説得力のない文章になってしまいます。
 次に、「これに対して」以降は、遊牧民と対比して農耕民について述べるということになるはずなのですが……どうも、全然対比になっていないようにしか見えないです。「やってることは、薄目で見ているとけっこう同じだけど、農耕民は作物収穫が基盤になって人が増える。」とのことですが、「農耕民は作物収穫が基盤になって人が増える」という言い方をするのなら、「遊牧民は家畜が殖えることが基盤となって人が増える」という言い方もできるはずであり、農耕民も遊牧民も同じであるということになるでしょう。また、「おせっくすで増えている」のは農耕民も遊牧民も同じである、ということは言うまでもありません。



 日本史を見ると、これに類するのは信長かなとも思うけど、そのあたりの史実は今一つわからない。彼は血にこだわっているふうはあまりなさげ。っていうか、むしろ、信長と秀吉の血にこだわったのは家康。でも、家康も古典的。

 「これに類するのは信長かなとも思うけど」というのは、日本で「genocideの原型」を行ったのは信長とも思うけれど、ということですね。そして、「彼は血にこだわっているふうはあまりなさげ。」と続いているのは、信長は虐殺を行ったけれど、特定の血の人間を皆殺しにしようとしたというわけではないようだ、ということだと考えて良いのでしょうか。 
 しかしそうすると、家康が「信長と秀吉の血にこだわった」とは、一体どういうことになるのでしょうか?どうも、ここで「血」の意味するところが変化しているようですが。また、これに「でも、家康も古典的。」と続けておられるということは、「でも」という接続詞から考えると、「血にこだわる」ことは「古典的」ではない、とお考えなのでしょうか?また、「家康も古典的」の「も」ということは、信長も「古典的」であるとお考えなのでしょうか?ここで「古典的」という言葉の意味するところも、よくわかりません。



 むしろ平家物語とか見ていると、貴種を絶やすということに重要性を置いていた古典的時代があるようだ。(たぶん、山背王とか長屋王はそれ以前の皇統の血を絶つ事件だったのでしょう。)

 ここまで「genocideの原型」について述べてこられたのに、何故「貴種を絶やす」という話題に移ってしまうのでしょうか?「貴種を絶やす」ことは、「genocideの原型」の定義には全くあてはまらないように思いますが。
 そして、「平家物語」において、「貴種を絶やすということ」と言えるような事件が描かれていたでしょうか?どうも私には、finalventさんがどのようなことを「貴種を絶やすということ」だとお考えなのか、よくわかりません。
 また、括弧内の文についてですが、まず「山背王」というのは「山背大兄王」のことでしょうか(長屋王の息子に山背王がいますが、この人物は生き延びています)?そして、「山背大兄王」のことだとすれば、彼とその一族が蘇我入鹿によって自害に追い込まれたといわれている事件を「それ以前の皇統の血を絶つ事件」と考えることは、かなり無理があると思います。山背大兄王の父である厩戸皇子(いわゆる聖徳太子)は勿論天皇ではありませんでしたから、祖父の用命天皇の血筋を「それ以前の皇統の血」と捉えることになると思われますが(曽祖父の欽明天皇まで遡った場合、蘇我蝦夷が擁立したとされる舒明天皇の血筋を否定することになるので、これはあり得ませんね)、この事件を蘇我入鹿が用命天皇の血筋を滅ぼした事件とする見方は、非常に珍しいものでしょう。
 そして、「長屋王の変」も、これを「それ以前の皇統の血を絶つ事件」と考えることは、相当無理があるように思います。長屋王は、天武天皇の孫にあたりますが、「長屋王の変」によって天武天皇の血筋の者が皆殺しにされたわけではないのですから。



 でも、その後の日本を見ていると、日本には血統原理はない。家の名がつながればいいだけ。基本的に娘を家に用意して、交換したり、男をゲットするっていうのが日本で、権力っていうのは、その場の空気とゼニでだいたい決まる。っていうか正義と殲滅の発想はなさげ。血は実際には問われないある種の現実主義の国民が日本のように思える。

 この部分も、冒頭部分と同様に、歴史上の実例が全く挙げられておらず、また表現があまりにも大雑把なために、非常に理解しにくいように思われます。まず、「日本には血統原理はない。家の名がつながればいいだけ。」とおっしゃっておられますが、ここで言われている「血統原理」という言葉の意味合いが今ひとつわかりません。血統を重視する考え方、ということで良いのでしょうか?しかし、もしそうだとすれば、「家の名をつなぐ」場合には、血統が重要な要素になるのはごく普通のことだと思うのですが。「娘を家に用意して、交換したり、男をゲットするっていうのが日本」とのことですが、「娘を家に用意」して「男をゲット」する場合、その男がどのような血統の人間であるのかということを重視するのが当たり前でしょう。そして、「権力っていうのは、その場の空気とゼニでだいたい決まる。」という言葉が続くのですが、「その場の空気とゼニでだいたい決まる」という表現は、その意味するところがどうにも不明確に思われます。
 そして更に、「っていうか正義と殲滅の発想はなさげ。」という文が続きますが、「正義と殲滅の発想」というのは、「genocideの原型」のことなのでしょうか?ここまでの文章の流れで、どうしてこういう見方が出てくるのか、全く理解できません。
 最後に、「血は実際には問われないある種の現実主義の国民が日本のように思える。」というのは、「日本の国民は、血統を実際には問題としないという、ある種の現実主義の考え方を持っている。」ということでしょうか?どうも、主語と述語のつながりが変に思われるのですが。


 ここまで「genocideっていうのは鳥インフルエンザ対策みたいなもの」のエントリを読み直してきましたが、やはり「突飛で支離滅裂」に思われるという見方を変えることはできませんでした。

『ホテル・ルワンダ』に関する議論

 Jonahさんとfinalventさんとの議論が再開されたようです。
 http://d.hatena.ne.jp/travieso/20060318/p1
 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060318
 とりあえず、finalventさんの記事において、あまりにも変に思われた部分をメモ。

 「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行われた」と、さらなるご冗談を。中国人も日本人も間違えられて殺害されているのを知らないのですか。というか、そこまで歴史を知らないで批判をしているなら、さらなる言葉はむなしいでしょう。

 う〜ん、「朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語が飛び交ったために、あちこちで「不逞鮮人」から自分たちを守るという名目で自警団が結成され、それらの自警団が中心となって朝鮮人に対する虐殺が行われたのであり、その中で「中国人も日本人も間違えられて殺害され」たわけですから、Jonahさんが「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行われた」と表現したことのどこが「ご冗談」なのか、さっぱりわかりません。


(追記)
 同様な疑問をお感じになる人がいらっしゃったようで、finalventさんの記事のコメント欄に書き込みがあり、finalventさんが返答されています。

追記:コメント欄より

esper 『「中国人も日本人も間違えられて殺害されている」のであれば、やはりターゲットは特定の民族だったんじゃないでしょうか?いや、ブックマークから来たんで全然話の流れ分からないんですけどね。』

finalvent 『esperさん、ども。史実をご検討され、そのように結論されるのであれば、そうした考え方もあるかと思います。ただ、新聞を巻き込んだ流言飛語の対象がこのケースで朝鮮人であったということで、それをもって特定の民族の虐殺としますか?』

 このような事例を「特定の民族の虐殺」と言わないことは、到底あり得ないだろうと思います。もしかすると、特定の民族を根絶やしにしようとする、例えばユダヤ人に対するホロコーストのようなものしか「特定の民族の虐殺」と呼ぶべきではない、とfinalventさんはお考えなのかもしれない、とふと考えましたが、どうもよくわかりません。

 そして、上に引用した部分に次のような追記もされています。

 「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行われた」と、さらなるご冗談を。中国人も日本人も間違えられて殺害されているのを知らないのですか(追記:「15円50銭」が発音できなければ日本人も殺されたらしい。なら、狙われたのは朝鮮人に象徴される異者。朝鮮人コミュニティへの襲撃がない点も要考慮)。

 「朝鮮人が井戸に毒を流した」「朝鮮人が暴動を起こした」という流言蜚語によって朝鮮人が狙われたのですから、「狙われたのは朝鮮人に象徴される異者」とするのはいくらなんでも無茶ではないでしょうか。
 それにしても、以前の記事でも述べておられた「朝鮮人コミュニティへの襲撃がない点も要考慮」という主張を繰り返しておられますが、その意図するところがよく理解できません。


(19日追記)
 finalventさんの補足記事から、以下に一部を引用させて頂きます。

 補足。「新聞を巻き込んだ流言飛語の対象がこのケースで朝鮮人であった」という点に私はまったくの背景のないものではないにせよ、蓋然性は高いと考えています。つまり、他にも結びつく可能性があった、と。ただ、あの時代、あの状況で、異人化される他の対象は考えにくいようにも思います。フレームワークとしては、genocide としての朝鮮人虐殺ではなく、異常事態の異人への迫害という点で、異人があの状況で朝鮮人に結びついたのだろうと考えています。genocide 的な探し出してその血を絶やすという意図は私の知る限り認識されません(コミュニティ襲撃が無い)。また、あの時、日本国国家は朝鮮人の保護に向かったと思えます(この点、歴史学的に十分研究されてないように思えるので留保がつきますが)。

 「異常事態の異人への迫害という点で、異人があの状況で朝鮮人に結びついたのだろう」とは、一体どういうことなのでしょうか?何故このように抽象的な物言いをされるのか、よくわかりません。「異常事態」に陥ったからといって、いつでも「異人への迫害」が起こるわけでないのですから、「異人化される対象」がたまたま朝鮮人であったというような表現をされることには、疑問を感じざるを得ません。何故あの時代に虐殺が起こり、何故その対象が朝鮮人であったのか、その固有の歴史的背景を考えないわけにはいかないと思うのですが。
 それから、「genocide 的な探し出してその血を絶やすという意図は私の知る限り認識されません」とのことですが、「探し出してその血を絶やすという意図」がなければgenocideとは言い難いとお考えなのだとすれば、genocideの意味を随分と狭く限定して使っておられるように感じられます。

ルワンダ虐殺と関東大震災における朝鮮人虐殺

 『ホテル・ルワンダ』のパンフレットに町山智浩氏が掲載した文章が、様々な議論を呼んでいます。
 なお、町山氏の文章については、こちらで全文が掲載されています(http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060304/1141410831)。
 さて、それらの議論の中の、二つの虐殺における共通した普遍性と、それぞれの虐殺の特殊性とをどのように理解すべきか、という問題については、以下の記事において非常に明快に論じられていると思います。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060228#p1
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060305#p1

 また、こちらの記事も同様に明快です。

http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060305203754/index.html

 結局のところ、ルワンダにおける大虐殺と関東大震災に乗じた朝鮮人虐殺とが「同じ」であるか「異なる」かは、自らがどのような利害関心でもってこの二つの出来事に向き合うかによって決まるのである。両者が「同じ」であるとするのはどのような利害関心によるのか、両者が「異なる」とするのはどのような利害関心によるのか。それを自ら語る用意のない者がこの件に関して語ることは、まるで無価値であると私は判断する。


 私としては、この問題に関する様々な議論を読んでいて、昔読んだ『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂著、朝日選書、1974年)の末尾部分を思い出さずにはいられませんでした。

 インディアン問題はインディアンたちの問題ではない。我々の問題である。そして「インディアン」はいたる所にいる。素朴な親愛と畏敬をこめてクマを殺すことを知っていたアイヌたちだけが我々にとってのインディアンではない。


(ここで、『苦界浄土』から、水俣の漁師がかつての生活の満ち足りた様子を語る言葉を引用)


 こう、石牟礼道子さんに語った水俣の漁師の爺さまを、我々が殺したとき、我々はまぎれもなく「インディアン」を殺したのである。

 インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である。

 
そういえば、以前町山氏が言及されていた『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」のエピソードの中に、次のような場面がありました。

宇宙人のレッテルを貼られて迫害されている天涯孤独の亮少年は、自分を助けてくれたメイツ星人の「おじさん」のために、「おじさん」が地下に埋めた円盤を掘り出そうと穴を掘っています。そして、「おじさん」と共にメイツ星に行くつもりだと言うのです。
 MATの郷秀樹隊員(ウルトラマン)は、亮少年にこう訊きます。
 「地球を捨てるのかい?」
 亮少年はこう答えます。
 「地球は今に人間が住めなくなるよ。その前に、地球にさよならするのさ。」
 
社会から見捨てられたかのような亮少年。しかし、本当に見捨てられようとしているのは、迫害された少年と、彼を迫害している社会と、果たしてどちらなのでしょうか。