孔子と人肉食

 以前、guldeenさんという方のブログに、以下のような質問をさせて頂いたことがあります。

# 大阪のジムシイ 『 初めてお邪魔致します。こちらのブログでのご発言についてではなく、kanokeさんのブログにguldeenさんがコメントされていたことについてなのですが、お尋ねしたいことがありまして、書き込ませていただきます。
 guldeenさんは、11月16日のkanokeさんのブログに、孔子は人肉の干し肉が好物であった、と書き込んでおられましたが、その出典を教えていただけないでしょうか。孔子といえば、その思想の中心は「仁」であり、人間中心の思想家というイメージが強いので、非常に驚きました。例えば『論語』の郷党篇では、馬小屋が火事になったとき、孔子は怪我人は出なかったか、とたずねたけれど、馬のことは問わなかった、というエピソードがあります。つまり、当時は貴重な財産であった馬よりも、人命をまず心配したということで、孔子の人間尊重の側面を示すエピソードとして有名なものです。このような孔子と、人肉の干し肉を好む孔子とでは、その人間像にあまりにも違いがありすぎるように思われましたので、質問させて頂いた次第です。よろしくお願い致します。』

# guldeen 『えー。とりあえず、「人肉 中国」「人肉 孔子」でグーグル検索してみてください。
ポイントとしては、
1.歴代の中国では、人肉はたんに『食材の一つ』であった。これは孔子の生きていた時代でも同じ。
2.中国歴代の書物を見ても、人肉を食べることに言及する文書(人肉を使った料理、なんてのもある)が多々あり、またそれをタブーとして見ている気配があまり無い。
3.漢方の多くでも、動物ではヒトを含めて食べたことが無いものはないのではないか、と思えるほどの試し方を考えさせるものが、文献の中に残っている。(人間のキモが「くすり」になる、だなんて、試したヤツがいるネタだとしか思えない)
といったところがあげられます。
ただ、人肉はいつも食べられる肉というものでもなかったようで、日本人にとっての「鯨肉」のような感覚のものだと考えると分かりやすいかもしれません。(これとて、海外の人達から見れば「ゲテモノ」「野蛮」だと捉えられるのかもしれませんが…)
http://www.asyura.com/2002/war11/msg/982.html
↑ここのページが一番強烈ですが(焼けた胎児を食っているグロ画像注意)、孔子は「弟子の子路が殺された際に『干した塩漬け肉』にされた」事を聞いて、「家に溜めてあった『干した塩漬け肉』をみな捨てた」とあります。また、孔子の歴代の発言でも、人肉を食うことを「タブー視」した痕跡がありません。(これはつまり、人肉=「食材のひとつ」という認識が、中国での世間常識であった事の間接的な証拠)
あと、そのものズバリ、「中国における人肉食の伝統」に関して言及した本。↓
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4947737395.html
また、こちらも参考に。
http://tanautsu.duu.jp/the-best03_01_05_a.html
古本屋で黄文雄・著『呪われた中国人』を見かけたら、買っておくと良いそうです。』

# 大阪のジムシイ 『 早速のお返事を有難うございます。ただ、お答え頂いた内容によくわからない部分がありましたので、再度質問させて頂くご無礼をお許し下さい。
 まず、中国において食人がタブー視されていたのか否かについてですが、これは私の質問からはいささかずれた話題ですね。ご紹介頂いた「田中芳樹の中国認識」のページをざっと読んでみたところ、『史記』などの歴史書からの引用はともかく、それ以外の事例については、『水滸伝』のようなアウトローの世界を描いたフィクションを例としてあげているのはいささか問題があるように思われました。また、黄文雄の本に書いてあった、小室直樹の本に書いてあったなどとあるものについては、黄文雄氏や小室直樹氏がどのような史料に基づいて論を展開されているのかがわからないため、これについては判断を保留させて下さい。黄氏や小室氏の本を読む機会がありましたら、その時に改めて考えてみたいと思います(guldeenさんがもしお読みでしたら、両氏がどのような史料を用いているのか教えて頂けますと有り難いのですが)。ただいずれにしても、中国社会において食人がタブー視されていたのか否かということと、孔子が食人をタブー視したか否かということは、直接にはつながらないことだと思います。
 次に、孔子が人肉食をどう考えていたかについてですが、ここでguldeenさんは「孔子は「弟子の子路が殺された際に『干した塩漬け肉』にされた」事を聞いて、「家に溜めてあった『干した塩漬け肉』をみな捨てた」とあります」というエピソードを挙げておられますが、これはどのような意図からなのでしょうか。愛弟子が殺されて、その遺体が塩漬けにされたということを聞いたから、孔子は(愛弟子の死を思い出してしまうため)これ以降塩漬け肉を食べる気になれなかった、ということなのではないでしょうか。これがどうして人肉食につながる話なのか、よくわかりません。
 そして、これに続けて「また、孔子の歴代の発言でも、人肉を食うことを「タブー視」した痕跡がありません。(これはつまり、人肉=「食材のひとつ」という認識が、中国での世間常識であった事の間接的な証拠)」とおっしゃっておられるのにも、首を傾げてしまいます。
孔子の歴代の発言(歴代の、という部分もよくわからないのですが)に人肉を食うことをタブー視した痕跡がない」ということは、「孔子が人肉を食うことを是としていた」ということとイコールではないはずです。例えば、「Aさんは、人殺しは悪いことだと言ったことがない」からといって、「Aさんは、人殺しを是としている」ということにはならないように。それに、「孔子が人肉を食うことをタブー視した痕跡がない」ことを、どのようにして調べられたのでしょうか(孔子の著作や言行録・同時代人の記録・歴史書などを調査するのは、相当に大変なことだと思われます)。そもそもguldeenさんは、「あの孔子儒教の開祖)の好物が、「人肉の干し肉」だった事をご存知ですか?」と書き込んでおられたのですから、それがどのような史料に基づくものなのかを教えていただければ、話はとてもわかりやすいのですが。』

# guldeen 『えーと、ここらへんとか。
http://tanautsu.duu.jp/the-best03_01_05_a.html
あとはだいたい、ウェブが多いのです。申し訳ない。↓これとか。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916/jinniku.html
それと誤解されているかもしれませんが、「当時の中国では人の肉は食材の一つとしてポピュラーであり、当然の事として認知されていた」という事と、「当時のそういった食の情勢から考えてみても、孔子も口にしていた可能性は『否定できない』」ということが、「孔子の教えを“否定する”」だなどとは、私は申し上げておりません。生きている人間を仲間として大切にする事と、亡くなり単なる肉塊となった死体を『食材』として食する事は、中国人の頭の中では両立しうる事なのだろうとも考えられますし、それは孔子のとなえた「仁」「義」「愛」に別段反する事でもないのでは。
あと、「やって無い」事は証明できません(だからこそ「アリバイ=現場に居なかったことの証明」という形で、“間接証明”という形でしか、潔白を主張できない)。ですからとうぜん、孔子が人肉を口にしていなかった可能性もある、とは申し上げておきます。しかし、(上にも書きましたが)当時の中国ではそれなりに食材として認知されていた人の肉を食った食わないという事が、孔子の教えの意義を揺らがせるものでも無いのでは?と思いますが。』

# 大阪のジムシイ 『 再度のお返事を、有難うございます。
 まず、「生きている人間を仲間として大切にする事と、亡くなり単なる肉塊となった死体を『食材』として食する事は、中国人の頭の中では両立しうる事なのだろうとも考えられますし、それは孔子のとなえた「仁」「義」「愛」に別段反する事でもないのでは。」ということについては、確かにそういう可能性は十分にありますね。これについては、当時の中国人の習慣や倫理観について、社会史的な考察をすることが必要になると思いますので、私もこれから調べてみたいと思います。
 しかし、続いて「あと、「やって無い」事は証明できません(だからこそ「アリバイ=現場に居なかったことの証明」という形で、“間接証明”という形でしか、潔白を主張できない)。ですからとうぜん、孔子が人肉を口にしていなかった可能性もある、とは申し上げておきます。」とおっしゃられるのには、疑問を感じざるを得ません。再びの引用となりますが、最初にguldeenさんは「あの孔子儒教の開祖)の好物が、「人肉の干し肉」だった事をご存知ですか?」と書き込んでおられたわけで、孔子の好物が「人肉の干し肉」だった、ということは、孔子が人肉を食べていたことを当然の前提としているはずです。それなのに、今回「孔子が人肉を口にしていなかった可能性もある」とおっしゃられているのは、明らかに矛盾していると思われるのですが。
 ともかく、私も自分なりに調べてみたいと思いますので、再度のお願いですが、孔子の好物が「人肉の干し肉」だったということをguldeenさんがお知りになった典拠を、お教えくださいませんでしょうか(ご紹介いただいたネットの記事からすると、黄文雄氏の著作なのでしょうか)。そうすれば、私としてもその文献なり史料なりにあたってみることができると思いますので。何度もすみませんが、よろしくお願い致します。』

# guldeen 『そこらへんに関しては、正直、私もいい加減な人間ですので、こういった歴史上のネタを知っているかどうかという事に関していえば、これはもう「二次資料」を当たってみるほかないわけで(私は中国語なんて読めませんし)、私の場合は上述で書いているような、いわゆる「ネットソース」がメインとなっている点は確かにあります。典拠としては極東ニュース板・中国板@2ちゃんねるからの提示→記されているURLを当たってみる→黄文雄氏の著作で書かれている“らしい”という結論に達した、というのが、プロセスの全てです。』

# 大阪のジムシイ 『御返事を有難うございます。では、黄文雄氏の著作を探してみて、どのような史料が使われているのかを調べてみることにいたします。何度も質問させて頂き、失礼しました。』

http://d.hatena.ne.jp/guldeen/20041208#c

 
 その後、いくつか黄文雄氏の著作には目を通してみたのですが、読んだものが一般向けの著作ばかりだったためか注釈や参考文献リストなどがついておらず、残念ながら黄文雄氏がどのような史料によって「孔子の好物が人肉」という主張をされているのかはわかりませんでした。
 しかしguldeenさんは、6月27日の日記の、Jonahさんという方へのお返事において、以下のように述べておられます。

 この部分、読んで何度も思い返してみたのですが、「遠い歴史の先の出来事なので、結局は誰も直接確かめる手段は無い」という境地に達しました。ゆえに私も、「弟子が干し肉にされた事を聞き、孔子は好物である干し肉のストックを全て捨てた」という逸話における干し肉の原料が何だったのか、今となっては確認不可能であるわけで、「当時の風習から考えれば、その干し肉が人の肉であった可能性もゼロではないが、詳細は分からない」と認識を改める事にします。


http://d.hatena.ne.jp/guldeen/20050627#p12

 以前は「典拠としては極東ニュース板・中国板@2ちゃんねるからの提示→記されているURLを当たってみる→黄文雄氏の著作で書かれている“らしい”という結論に達した、というのが、プロセスの全てです。」とおっしゃっておられましたが、今回は「当時の風習から考えれば」とすでに孔子が生きていた時代の風習についてお調べになっているご様子です。それならば、是非お教え頂けると有り難いです。

 追記:Jonahさんからguldeenさんへのお返事はこちらhttp://kangbuk.g.hatena.ne.jp/Jonah/20050628